ひとくちにリーダーといっても、社長から現場の管理職まで様々な階層がある。抱えている部下の数や事業の規模もまちまちだ。自分の悩みが周りと同じとは限らず、相談する相手がいなくて困っている人も少なくないだろう。
そんなときに参考になるのが、ゴールドマン・サックスなどの外資系金融で実績を上げたのち、東北楽天ゴールデンイーグルス社長として「優勝」「収益拡大」をW達成した立花陽三氏の著書『リーダーは偉くない。』だ。本書は、立花氏が自身の成功と失敗を赤裸々に明かしつつ、「リーダーシップの秘密」をあますことなく書いた1冊で、「面白くて一気読みしてしまった」「こんなリーダーと仕事がしたい」と大きな反響を呼んでいる。今回は立花氏に、部下の成長をサポートする方法について伺った。(聞き手/『頭のいい人が話す前に考えていること』の著者 安達裕哉氏、執筆/ダイヤモンド社 根本隼)

部下に不満があるとき、三流のリーダーは「本人に言わず、陰口を言う」。では一流は?Photo:Adobe Stock

「他者から全く叱られない」のは幸せなのか?

――このご時世、上司が部下を「叱る」ことは本当に難しくなりました。

 いまや学校においても、先生がちょっとでも子どもを叱ると、保護者から「あの先生のクラスには、うちの子を今後絶対に入れないでください」などとクレームが来るケースもあるそうです。

立花陽三(以下、立花) そういう環境で育った人が、いつか社会人として働き始めたら、少し叱られただけで会社に来なくなりそうですね。

 正直なところ、子どもから大人になるまで、そして大人になっても「他者から全く叱られない」のが本当に良いことなのか、僕はかなり疑問に思っています。

 ミスをしない人間なんていませんし、自分のミスに気づけない人・自分のミスから学べない人は、周囲にそれを叱ってくれる人がいなければ、一生気づくことができないかもしれないわけですよね? 

 それに、そういう自分のミスから学べない人がいると、組織全体のパフォーマンスも確実に下がります。それを放置するのは、リーダーとして正しいこととは言えないでしょう。

 もし「叱るのは一律NG」というルールにするなら、ある部署で結果を出せない人には管理職が異動を命じられるようにするなど、ルールの副作用を補う措置を講じておかないと、まともなマネジメントができないですよね。

―「叱らない」ことによる負の影響をカバーする育成システムや、配置転換の仕組みがないと、部下の成長に責任を持つ人がいなくなってしまうということですね。

三流の上司は「部下に直接不満を言わず、陰口を言う」

――立花さんは、パワハラだと受け取られずにきちんと指導をするには、「部下との信頼関係の構築」が最も重要だとおっしゃっていました。このあたりのお考えを、改めて聞かせてください。

立花 どんな人かもよく知らない上司からつべこべ言われたら、誰だって嫌な気持ちになりますし、部下の心はどんどん離れていきます。一方で、ビシッと言うべきときに言わないと、上司としての役割は果たせません。

 なので、叱れないことで鬱憤をためて「アイツは使えない」などと陰口を叩くぐらいだったら、ときには厳しく指導できるような「信頼関係」を構築しておくほうが、お互いにとってよっぽど良いんじゃないかと僕は考えています。

 「お互いに」と言ったのは、部下にとっても、まともな指導を受けないと成長できないからです。

――なるほど、非常に深いですね。

一流のリーダーは、言うべきことを言える「信頼関係」をつくる

立花 『リーダーは偉くない。』の中でも明言しましたが、そうした信頼関係をつくるには、日頃のコミュニケーションを通じて「この人にはどこまで言っても大丈夫か」という“距離感”を上司がつかむことが大切です。

 おそらく、上司が距離を置こうとするからこそ、部下も余計に離れていくと思うんです。もちろん、距離をガツガツ縮めようとすると嫌がる人もいますから、そのあたりも含めた「センス」が問われますね。

――近頃は、部下に嫌われることを怖がりすぎて、必要最低限のコミュニケーションしかとろうとしない上司もいます。でも、もう少し踏み込んだ人間関係を望んでいる部下も絶対いるはずですよね。

立花 リーダーの責任は「組織の成果を高めること」であって、そのためには一人ひとりのメンバーの能力を高めなければなりません。

 人間関係における「絶対の正解」は存在しないので、基本的に手探り状態にはなりますが、部下の成長をサポートするうえでは「人となりを理解しようとすること」が不可欠ではないでしょうか。

(本稿は、『リーダーは偉くない。』の著者・立花陽三さんへのインタビューをもとに構成しました)

立花陽三(たちばな・ようぞう)
1971年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、新卒でソロモン・ブラザーズ証券(現シティグループ証券)に入社。1999年に転職したゴールドマン・サックス証券で実績を上げ、マネージング・ディレクターになる。その後、メリルリンチ日本証券(現BofA証券)を経て、2012年、東北楽天ゴールデンイーグルス社長に就任。星野仙一監督をサポートして、2013年に球団初のリーグ優勝、日本シリーズ制覇を達成。2017年には楽天ヴィッセル神戸社長も兼務することとなり、2020年に天皇杯JFA第99回全日本サッカー選手権大会で優勝した。2021年に楽天グループの全役職を退任したのち、宮城県塩釜市の廻鮮寿司「塩釜港」の創業者・鎌田秀也氏から相談を受け、同社社長に就任。著書に『リーダーは偉くない。』(ダイヤモンド社)がある。