北朝鮮の「汚物風船」は軍事実験、秋以降は日本にとっても脅威【佐藤優】韓国国防省が2024年6月9日に撮影した資料には、ソウルの蚕室大橋付近の漢江の水面に、北朝鮮のごみをくくり付けた風船と思われる未確認物体が写っている 写真提供:韓国軍/時事

北朝鮮が韓国に放った「汚物風船」。牧歌的にも見える「風船の応酬」を軍事面から考察すると――。日本にとって人ごとではない理由とは?作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が読み解く。(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優、構成/石井謙一郎)

金与正が発信するメッセージとは?

「韓国の連中は、わが人民が散布するごみを(中略)真心のこもった『誠意の贈り物』として大事にし、引き続き拾い集めるべきであろう」(5月29日「朝鮮中央通信」日本語版)

 これは北朝鮮が韓国に放った「汚物風船」について金与正・朝鮮労働党副部長が述べた言葉です。

 風船の応酬は、まず韓国の民間の脱北者団体が5月10日に行ったのが端緒で、北朝鮮の体制を批判するビラなどがくくり付けられていました。対する北朝鮮が5月28日に報復として放ったのが、穴の開いた靴下などのごみをくくり付けた汚物風船で、金与正はこれを「誠意の贈り物」と表現しているのです。金与正の声明の中でさらに重要なのは次の部分です。

「朝鮮民主主義人民共和国政府は大韓民国に対するビラ散布がわが人民の表現の自由に該当し、韓国国民の知る権利を保障することとして、これを直ちに制止させることには限界がある。大韓民国政府に丁重に了解を求める」(同)

 これは強烈な皮肉であるとともに、今後の北朝鮮の対韓外交を考える上で見逃せない一文です。

 文在寅大統領時代、北朝鮮へ風船を送る行為は「対北ビラ禁止法」で禁じられていました。ところが尹錫悦大統領になってから、ビラ散布の禁止は「韓国国民の表現の自由と、北朝鮮の人々の知る権利を侵害する」ために憲法違反であるとの解釈に変わったのです。

 金与正はこれを逆手に取り、汚物風船も「わが人民の表現の自由を保障し、韓国国民の知る権利を保障するものだから、直ちにやめさせられるものではない」と皮肉ったのです。そしてごみをくくり付けたことに対しては「韓国からの体制批判ビラはごみに等しい」とするユーモアも忘れていません。

 金与正は、風船に対してミサイルで応じるような均衡を欠くものではなく、あくまで「目には目を」というルールを韓国との間で確立したい。つまり、金与正は「韓国が風船の放流をやめれば、北朝鮮もやめる」「報復は同程度のものにする」との相互主義のルールを韓国に適用する意思を表明していると読めるのです。

 韓国は対抗措置として軍による宣伝放送を再開していますが、これは金与正のメッセージを理解せず、「目には目と鼻を」ともいうべき均衡を欠いた報復を行っていることになります。