オウム真理教・平田信と向き合い続けた被害者遺族…父を拉致・監禁された遺族が選んだ「赦さない関係」写真はイメージです Photo:PIXTA

オウム真理教の元幹部・平田信。1995年、公証人役場事務長の假谷清志さん拉致・監禁事件に関与し、16年に及ぶ逃亡の末に出頭、懲役9年の実刑判決を受けた。父を奪われた息子・假谷実さんが、裁判で真相を問い続けただけでなく、出所後の平田とも面会を重ねてきたのは、なぜか。※本稿は、ノンフィクションライターの藤井誠二『「殺された側」から「殺した側」へ、こころを伝えるということ』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。

オウム真理教の中心メンバー
平田信に下された罪状

 加害者の名前は平田信。犯行時は29歳だったが、出頭時には40代半ばになっていた。

 平田はオウム真理教の中心メンバーの1人で、假谷実の実の父親・清志(当時68歳)を1995年2月28日に拉致・監禁し、死に至らしめた事件で、上九一色村のサティアンへ運ぶための運転手を担っていた。オウム真理教が拉致した理由は、清志の妹(実の叔母)が同教団に入信していたが逃亡したため、居場所を聞き出すためだった。

 この事件を突破口にして警察はオウム真理教の強制捜査に乗り出していくことになるのだが、麻原彰晃こと松本智津夫が1987年に設立したカルト教団はすでに大がかりな犯罪テロ組織と化しており、坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、信者や元信者へのリンチや殺人を繰り返していた。

 20~30代の中枢出家信者らは麻原の命令で、殺人を「ポア」と正当化し、さまざまな手段で次々と殺人を実行していく。一連の被害者や行方不明者は数十人、受傷者は数千人とされる。長年にわたった裁判の末、2018年には麻原を始め幹部13人に対して死刑が執行されている。