その頃は、必要なとき以外はずっとベッドに寝ていました。少し動くだけでも激痛が走るため、「地獄やあ、地獄やあ」とうめき声が出るのをどうすることもできません。トイレに行くのも死に物狂い。しかも苦労して行ったにもかかわらず、おなかを押さえてもらわないとおしっこが出ないのです。ほんまに地獄でした。

 6月、そんな状態のまま桂きん枝さんが桂小文枝になられる襲名披露に出席するため関東へ。私は感覚の麻痺と痛みで意識が朦朧としていました。見かねた大助くんが天野先生に電話したら、「大ちゃん、花ちゃんを殺す気か!すぐ連れてきて。もう秒読みに入っている」。

 先生のただならぬ声色に、大助くんはすべてキャンセルすることを決断し、奈良県立医科大学附属病院に車を飛ばしました。

 担ぎ込まれる私を見て先生は、「余命1週間。治っても生涯、車椅子と腹をくくってください。私たちも全力を尽くします」と険しい表情でおっしゃったんだとか。当の本人は、意識が朦朧としていたので覚えていないんです。

 このとき、がんの目安となるフリーライトチェーンは800。通常、50を超えたら大変厳しいといわれるそうですから、いかに病状が深刻だったかがわかります。出なくなっていたおしっこが逆流して膀胱が破裂していたら?床ずれが骨までいって感染症になっていたら?骨にがんができていて気道を圧迫したら?右目の近くの骨の腫瘍が破裂したら?……そのどれが起きても何の不思議もなく、どれが起きても間違いなく死んでいました。それほど厳しい状況だったのです。

足を動かせられなくなった
壊死した神経は元に戻らない

 意識が戻ってしばらくたった頃、天野先生が病室にふらりとやってきて「将来、車椅子で漫才ができたらいいね」とおっしゃいました。「車椅子?なんで?立ってやったらええやん。先生、おかしなことを言わはるな」と思っていたのですが、ベッドで足を動かそうとして驚きました。ピクリとも動かないのです。感覚もありません。

 首にできた腫瘍が神経を圧迫し、下半身の神経が壊死していました。一度、壊死した神経が元に戻ることはほぼないんだとか。