阪神タイガースが38年ぶりの日本一に輝いた2023年シーズン。広島カープと横浜ベイスターズが追いすがり、デッドヒートを繰り広げていた同年7月、闘病を続けていた横田慎太郎は、この世を去った。開頭手術で光を失い、抗がん剤治療でゴッソリ抜ける髪。家族と球団とファンに支えられ、横田はどう戦ったのか。※本稿は、横田慎太郎さんの母・横田まなみさん視点のエピソードをもとに綴られた中井由梨子『栄光のバックホーム』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
脳腫瘍の手術以来、失っていた光を
ようやく取り戻した横田慎太郎
手術から約2カ月が経った朝。
いつものように私(横田選手の母)がブラインドを開け、自分の朝食の支度をしていますと、目覚めた慎太郎が、窓のほうをちらりと見て眉をしかめて言いました。
「眩しい。ちょっとブラインド下げて」
「あら、ごめん」
私は何気なく答えてブラインドに手をかけました。
え?今なんて言った?
「眩しい?」
「うん、下げて」
「眩しいの?光、見えるの?」
私は驚いてブラインドを上げたり下げたりしました。慎太郎は呆れました。
「何やってんの?」
「だって光見えるんでしょ!?」
「明るくなったり暗くなったりする……けど……」
「凄い!」
思わずはしゃいでいると看護師さんが入ってきて怪訝な顔をしました。
「どうしました?」
「慎太郎が、眩しいって言うんです!」
それは良い兆しだ、と看護師さんは急いで先生を呼びに行ってくださいました。入ってきた先生も、光を感じたら見えるようになる時、ここからどんどん視力は戻ります、と笑顔で言いました。慎太郎はこの言葉が心底嬉しかったようで、今度は自分から「ブラインド動かして」とせがんで、私たちは延々とブラインドを上げ下げしておりました。
まさに希望の光が、慎太郎の目に射し込んだのです。
そこからの回復は目覚ましいものがありました。少しずつ少しずつ視界が広がり、目の前にあるものが見えるようになり、私の顔が見えるようになった時には、もう私が嬉しくて嬉しくて泣き笑いをしてしまいました。
「なんか、お母さん痩せたね?」
「そうなの、ちょうどいいダイエットよ」
ちなみにどうでも良い話ですが、慎太郎が発病した当時、私は体重が80キロほどありました(慎太郎が高校生の頃は90キロ……)。身長も低いほうではありませんから、ソファで寝るのは正直かなりきつかったのですが、それが幸いしたのか、どんどんスリムになっておりました。
球団の方々は、慎太郎の目が見えるようになったと聞くと、待ってました!とばかりに大勢お見舞いにいらっしゃるようになりました。仲良くしてくださっている選手の方々、お世話になっているコーチの方々、そして金本監督までもが、差し入れを持って訪ねてくださいました。皆さんの心がただありがたく、頭を下げることしかできませんでしたが、賑やかになった病室に“人間らしい”生活が戻ってきて、慎太郎はやっと安心したようでした。