突然、告げられた進行がん。そこから、東大病院、がんセンターと渡り歩き、ほかにも多くの名医に話を聞きながら、自分に合った治療を探し求めていくがん治療ノンフィクション『ドキュメントがん治療選択』。本書の連動するこの連載では、独自の取材を重ねてがんを克服した著者の金田信一郎氏が、同じくがんを克服した各界のキーパーソンに取材します。今回登場するのは前立腺がんを克服した演出家の宮本亞門さん。バラエティ番組の企画から前立腺がんが発覚したという宮本さんですが意外にも「心は混乱しなかった」そうです(聞き手は金田信一郎氏)。
――実は私は、ニューヨークで15年くらい前に、宮本さんを取材させていただいています。
宮本亞門氏(以下、宮本) お久しぶりでございます。
――体調はいかがですか。
宮本 まったく大丈夫な状態です。前立腺がんを早期発見したので、100%に近い形で回復しつつあるようです。現在は4ヵ月おきに血液検査をしているだけで、状況はいい方向に向かっています。PSA(前立腺特異抗原)検査の数値も低くなってます。
――仕事にも完全復帰されているんですね。
宮本 基本的には何の影響もなくやらせてもらってます。
――ところで前立腺がんになる前、がんに対するイメージはありましたか。がんになる予感や、想像をすることは。
宮本 考えないようにフタをしていたというのが正直なところです。というのも、小学生の時、祖父をがんで亡くしています。祖父は身体が頑丈なタイプでしたが、がんになり急激に痩せていきました。それが子ども心に衝撃でした。
当時、祖父は能舞台で謡を演じることになっていました。「どんなに痩せても舞台に立つ」と言って、骨のようになった状態で舞台に立ったんです。がっちりしていた彼が、痛々しいほどヨタヨタの状態で舞台に立ち、舞った様子を家族で見て、父も母も私も涙を流しました。それが、がんに対する最初の印象でした。
あまりにも急激な体の変化に驚きました。だからこそ、「自分はがんにならないぞ」と勝手に決め込んでいました。検査を受けなくても、「がんにはなるものか」と。
――検査もあまり受けていなかった?
宮本 人間ドックは受けていました。ですから、がんが発覚する2年くらい前から、PSA(前立腺特異抗原)検査の数値が悪いということは指摘されていたんです。それでも、「今すぐ来てください」という状況ではないだろうと「がんになるはずがない、少し気を付けて生活していれば大丈夫だろう」とタカを括っていたのです。
――すると、体調は特に悪くなかったわけですね。
宮本 尿が少し出にくくなっていたんですが、それも、この年齢になればみんなあることだと思っていました。それが糖尿病の予備軍なのか分からないけれど、酒は好きですし、2年に1回は人間ドックに行っている、だから問題ないだろうと思い込んでいたのです。
だから人間ドックの結果も詳しく見ず、まして、前立腺がんの予備知識もありませんでした。なので、初めて「前立腺がんです」と言われた時も、「どういうセンですか?」って聞いたくらいです。がんについて考える方が、かえってがんを呼び寄せるんじゃないかと愚かにも思っていたのです。
――ちなみにおじいさまは、何のがんだったのでしょうか。
宮本 肝臓がんです。その後、父は膀胱癌なりましたし、継母も乳がんを患い、抗がん剤治療も受けてました。なので周りにがんの人が多く、がんと宣告された時も、あまり驚きませんでした。
みんな年を重ねたら、がんにはなる。60歳過ぎはさすがに早いけれど、70歳や80歳くらいになると、そういうことも起こるんだろうな、くらいの気持ちでいました。
――宮本さんは、どのようにがんが発覚したんですか。
宮本 これが驚くことにテレビ番組で、人間ドッグで検査を受けたのが原因でした。健康をテーマにしたバラエティ番組で、生活習慣などが少し悪かったら「余命何年」などと面白おかしく宣告したりする番組でした。みんなで笑いながら、日常生活を良くしていこうとする企画で、僕は普段の食生活などを注意してもらう予定だったんです。
ところが、人間ドックで検査を受けた翌日、突然、個人事務所の社長が「テレビ局から、すぐにもう1回検査を受けてくださいと、連絡が入った」と言うのです。
急いで検査に行ったら、番組スタッフが入り口で待っていて、「番組をストップしてもいいです。でも、もし亞門さんが大丈夫なら、バラエティ番組としてではなく、健康の大切さを伝える番組として収録を継続したい」と。それに丁寧に「ご無理はなさらないように」と付け加えて言ってくれたんです。
僕は即答しました「何を言っているんですか。この番組がなければ、発覚出来なかった。僕がどんな結果になろうと、番組に感謝しているんです。全て収録してください」と。
その後、NTT東日本関東病院を推薦され、改めて、がんの専門医により検査を受けました。そしてレントゲンを示しながら「前立腺に白い陰がある」と言われ、管を肛門から入れて実際にどこまでがんが進行しているのかチェックしました。
20年前、私は東南アジアで交通事故にあって、生死の境を彷徨いました。また、21歳の時に実母が、突然、脳溢血で浴室で倒れて意識のなくなった母を運び出し、数時間で看取った経験もあります。そのため、普段から死が身近にあり、恐れは少なかったです。母からも「あなたは人間のことを探り、徹底的に人間を掘り下げるために舞台をやりたいんでしょ。だったら、すべてを直視しなさい」と言われていましたから。
だから、衝撃的なことが起こっても絶対に目を離さず、感情が混乱している中でも、全部目の中に焼き付けようと思っていました。
なので、がんと分かった時にも混乱しませんでした。「なるほど。こういう時に周りはこんな表情をするんだ」「周りから話しかけづらいと思われることが、がん患者をかえって孤独にさせるんだな」と静かに観察していたほどです。
僕自身も、がんが発覚した後、態度を変えているつもりはなく、むしろ積極的に打ち明けようとしているですが、中には、それが返って痛々しく見えると言う方もいます。ですから、がんという病気が、周囲にどう見られているのか、ということの方がむしろ驚きでした。
(2021年8月4日公開予定の記事に続く)