下半身だけでなく右手もほとんど動かなくなり、大好きな編み物どころかお箸を持つこともできません。このときばかりは、どないしようと途方にくれました。

 夜、大助くんもさゆみも帰ってしまって病室で1人になると、さすがの私も不安に押しつぶされそうになりました。そんなときは「ビクトリーロード」を小声で口ずさんで涙をぬぐったものです。「ビクトリーロード」、ご存じですか?

 そう、ラグビーワールドカップ2019日本代表のチームソングです。

ビクトリーロード
この道ずっとゆけば
最後は笑える日がくるのさ

 私にもきっと笑える日がくる。そう信じよう。何度も歌って自分に言い聞かせ、気持ちを奮い立たせて、先生方に励まされながらリハビリを続けました。すると、ある日突然、左足がピクッと動いたのです。

先生はびっくり仰天
奇跡が起こった

 天野先生に「ちょっと見てもらえます?」「うん?どうしました?」「足が動いてるみたいなんです」。布団をめくって状態を確認した先生は、びっくり仰天して病室から飛び出したほど。それくらい珍しいことだったのです。化学療法が怖くて逃げていたときには起きなかった奇跡が、病気と真正面から向き合って闘おうと決めたら起きました。

 神様がもう一度、チャンスを与えてくれたに違いありません。抗がん剤の効果もあり、日を追うごとに元気になっていったんです。

 入院して半年ほどが過ぎた2019年12月11日、私は病名を公表する記者会見に臨みました。天野先生と何度も相談して決めたことです。やり遂げられるか不安がる私に、先生が「数値は大丈夫やから、絶対いける」と太鼓判を押してくださったんです。

がん闘病の宮川花子、下半身も右手も動かぬ絶望から救った「奇跡の歌」とは?『なにわ介護男子』(主婦の友社) 宮川大助・花子 (著)

 当日、車窓からなんばの街並みを見たら、「ああ、ここが私のホームグラウンドや。帰ってきた」と胸がいっぱいになりました。なんばグランド花月の駐車場では、大助・花子ファミリーのみんなが泣きながら待っています。

「みんな、泣かんといてや。私はこれから治っていくから、心配せんといて」。

 こぼれそうな涙をこらえて、心の中で1人ひとりに呼びかけました。さらに会場に続く廊下には吉本興業の歴代マネージャーや社員さんがあふれんばかりに並んで出迎えてくれたのです。