101歳、現役の化粧品販売員として活躍している堀野智子(トモコ)さん。累計売上高は約1億3000万円で、「最高齢のビューティーアドバイザー」としてギネス世界記録に認定されたキャリア61年のトモコさんが、年をとるほど働くのが楽しくなる50の知恵を初公開した話題の書『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)が「堀野氏の技法は、ヒュミント(人間による情報収集活動)にも応用できる」と絶賛(日刊ゲンダイ・週末オススメ本ミシュラン)する世界一の先輩による“人生訓”は、アナタの疲れた心を元気にしてくれる!

101歳、世界最高齢の現役営業が教える! 夫の就職が決まらなかった「意外なワケ」写真:POLA提供

就職が決まらない夫

私たち夫婦が、結婚と同時に岩手県に引っ越したのにはわけがあります

父が甥である主人を案じて福島に連れてきて、あちらこちらに採用してもらえるよう頼んではみたものの、戦後の落ち着かない時期だったということもあり、結局、どこにも正式に採用してもらうことができなかったのです。

父の知り合いに銀行の重役がいて、「あそこなら採用してくれるだろう」と期待していたのですが、それもダメでした。

就職が決まらなかった意外なワケ

履歴書に「早稲田大学法学部卒業」とあったのが、よくなかったようです。当時、大学まで進学する人は本当に少なかったので、大卒といえばエリート中のエリートです。

今なら「そういう優秀な人材にぜひ入社して欲しい」と思われるでしょうが、当時の福島では、頭取も大学は出ていなかったのだそうです。

そんな東京の大学を卒業したエリートに来られても、「どう扱っていいかわからない」ということだったのでしょう。まさか高学歴が仇になるとは思わず、そのときは父も主人もガッカリしていたようです。

ようやくありつけた臨時職員

困り果てた主人が、岩手県内の税務署に勤めている大学時代の同級生に相談したところ、「ちょうど1人やめたところだから、臨時職員でよければ入れてあげてもいいと上司が言っている」というのです。

そこで主人は、岩手に戻ることを決意。「つきましては、ねえちゃんを僕にください」と宣言することになったわけですね。こうして岩手での新婚生活が始まりました。

とにかく食べ物の確保に必死

せっかくこうやって新婚時代のお話をしているのですから、ついでに何か甘い思い出でも打ち明けられるといいのですが、思い出すことといえばただ1つ「食べ物がなくて困った」、それだけなんです。

日々の食べ物を確保するのに、とにかく必死。自分が結婚したのが昭和何年だったかも覚えていなかったほどです。まだ、食べ物が配給制の時代でした。

なんと私たちは“新たに転入してきた人たち”に該当したため、その地域での配給の対象にならなかったのです。もともと、その土地で暮らしていた人たちに配給するだけで精いっぱいだったのでしょう。

※本稿は、『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。