

「ものごころついてから、ずっと暗いことばかり」と彼女が言うとおり、小学校1年でバブルが崩壊(ちなみに私は30歳でバブル崩壊の最前線を取材していました)。小学校5年生で阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件。中学校1年生で拓銀、長銀が経営破たん。
バブル崩壊後の長期不況から景気が回復局面に転じたのは2002年2月のこと。つまり、ナカムラの人生は小学校1年生から高校3年生まで、すっぽりと経済の暗雲に包まれていただけではなく、社会不安をかきたてるような事件や事故が続発していたのです。
このような時代に成長してきただけに、いまの若手は成長史観を持ち合わせていません。基本的には会社にも世の中にも成長するイメージはなく、したがって会社に依存しようという意識が薄い。ポテンシャルの高い層では、頭の中を占めるのは「自分の能力」を磨くことばかり。いまいる会社が潰れたとしても、どこに行っても通用するようなスキルを身につけておこうと考えているのです。
「おれたちの子どもの頃は、オリンピックがあり、新幹線が開通し、ものすごく明るい未来のイメージがあったよな」。先日、ある同業者とそんな話になりました。「いまの若手と、おれたち40代の違いってなんだろうな」という会話の一環です。
1961年生まれの私は高度成長の終わりにものごころがつき、その後は社会が成熟化に向かっていくわけですが、小・中・高、大学と、さほど世の中が悪くなったという実感は持たず、のほほんと過ごしてきました。東京生まれの私にとって、いちばん最初の記憶は近所の環状八号線の工事と、新宿西口ににょきにょきと高層ビルが建っていく様。近代化に向かう「建設の意志」ばかりが記憶にあります。ナカムラたちの10代の頃とは、まったく違っているのです。
そうは言っても、暗い話ばかりではなく、長期不況のさなかにも世の中は進歩もしています。私たちの洟垂れ時代と若者のそれとの圧倒的な違いはITの有無。いまの20代は、新しいテクノロジーをおもちゃ代わりにしてきた世代でもあります。
携帯電話が普及を始めたのが94年。この年、ナカムラは小学校4年生。次の年にはウィンドウズ95が発売され、パソコンは瞬く間にホンモノのパーソナルになり、さらにインターネットの商用サービスも開始されます。洟垂れのときからケータイにパソコンですから、リテラシーが違っていて当然です。そのことが若手のコミュニケーション・センスに大きな影響を与えていることは間違いないところです。