ハワイ・マウイ島大火災の「爪痕」を現地レポート、日本の震災復興体験が現地にもたらしていた“光”とはラハイナに向かう車窓からの景色 (2024年7月15日撮影)

ハワイ在住日本人から見た
マウイ島大火災の深い教訓

 元日に発生した能登半島地震から7カ月。新年の祝賀ムードを一変させた震災は、日本中に衝撃を与えた。被災地では、ライフラインの復旧、仮設住宅への入居、建物の公費解体など、今も復興に向けて、不断の努力が続いている。被害を受けられた方々に改めてお見舞いを申し上げるとともに、一刻も早い復旧を心から願う。

 私自身も1995年1月に発生した阪神・淡路大震災時に伊丹市で被災した。幸い自身の被害は少なかったが、経験したことのない揺れ、崩れ落ちた瓦礫、余震の恐怖、ライフラインのない生活――30年の年月を経ても、当時の記憶が薄れることはない。

 私は今、早稲田大学からの長期出張で、ハワイ大学に客員研究員として滞在し、サステナビリティ(持続可能性)をテーマに、売上・利益といった財務目標と、環境保護や社会課題解決といった非財務目標の同時追求を目指す経営やマーケティングのあり方について、欧米の研究者と国際的な共同研究を進めている。

 昨年3月末にオアフ島ワイキキに移住し、約4カ月後の8月、マウイ島大火災が発生した。山火事そのものは、ハワイでは決して珍しいことではない。この記事を書いている今も、マウイ島やカウアイ島の山火事のニュースが流れてくる。

 しかし、マウイ島大火災は規模がまったく違っていた。オアフ島以上に観光産業に依存し、アメリカ・カナダ・日本からの観光客に人気だったマウイ島では、各地で火災が生じ、古都ラハイナはほぼ全焼した。1年を経てなお、仮設住宅に移らず、ホテル暮らしを続けている住民も多い。

 私は災害研究の専門家ではないが、自然災害への対処は、環境と人類との共存の観点からも、事業継続計画(BCP)の観点からも、サステナビリティの問題そのものである。ハワイ在住者として、現地からマウイ島の現状をレポートしたい。