人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者(@keiyou30)が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

【病気と長生き】100年前の日本人の平均寿命は40代前半だった“なぜ?”Photo: Adobe Stock

「平均寿命」の驚異的変化

 今から約百年前の一九二〇年(大正九年)、日本人の平均寿命は男性四十二・一歳、女性四十三・二歳であった(1)。

 一方、二〇二一年の平均寿命は男性八十一・五歳、女性八十七・六歳である。

 一つの国で、たった一世紀の間に起こったとはにわかに信じがたいほどの、驚異的な変化である。

 今から百年前、日本人は何で亡くなっていたのだろうか?

 かつての死因を見てみると、肺炎や結核に加えて、特に目を引くのが「胃腸炎」で死亡する人の多さである。

 胃腸炎は一般に、細菌やウイルスなどの病原体が口から入り、消化管に感染して起こる病気である。

 今や胃腸炎での死亡は極めて少ないが、これは衛生環境の改善と、医療の進歩によって成し遂げられたものだ。

 たとえあなたが激しい食あたりで嘔吐、下痢を繰り返し、医師から「胃腸炎」と診断されても、これがすなわち死の危機を意味するとは考えないだろう。

 だが、今から一世紀前には、ちょうど今のがんと同じ割合の人たちが胃腸炎で亡くなっていたのだ。

 そのことを思えば、当時の人たちにとっての胃腸炎の禍々しさが想像できる。

数時間で死に至る

 かつて、多くの人命を奪っていた胃腸炎の一つにコレラがある。コレラは、コレラ菌という細菌が原因となって起こる感染症で、コレラ菌のつくる毒素「コレラトキシン」によって急性の下痢が起こる。

 治療しなければ数時間で死に至ることもある恐ろしい病気だ(2)。 死亡の最大の要因は、一日一〇リットル~数十リットルにも及ぶ激しい下痢である(3)。

 コレラによる下痢便は「米のとぎ汁様」ともいわれる、特徴的なものだ。短時間にとてつもない量の水分と電解質が失われ、生命維持機能が破綻する。

 その上、胃腸炎による吐き気や嘔吐のせいで、失われた水分と電解質を口から補充できない。細菌と毒素が腸から排出され、腸管の炎症が治まるまでの間、口以外のどこかから水分と電解質を強制的に補充しなければ生命を繋げない。

 そこで生み出されたのが、今では一般に「点滴」と呼ばれることの多い、「輸液」の技術だ。

 一八三二年、イギリスの医師トーマス・ラッタがコレラ患者の静脈内に、食塩と重曹の溶液を注入したのが輸液の始まりとされている(4)。

 それ以後、静脈内注射や皮下注射、肛門からの注入など、ありとあらゆる方法で「人体に水分を注入する方法」が模索されてきた。

 中でも長らく好まれた手法は、大量皮下注入である(4)。腕や太もも、臀部などに針を刺し、皮膚の下に液体を注入するのだ。

 これはやがて組織へ浸透し、血管内に回収され、体に補給されることになる。むろんこの手法には限界があった。当然ながら皮膚の下のスペースは限られ、一度にそれほど多くの液体を注入することは困難だったからだ。

 一方、現代の医療現場で日常的に行われる点滴は、静脈内への液体注入である。だがこの方法は、かつては熟練の技を要した。

 今のように安全かつ持続的に静脈注射を可能にするツールがなかった当時は、皮膚を切開して静脈を露出し、そこに液体を注入するのが通例だったからだ。

 また、手技が難しいだけでなく、細菌などの混入による血流感染症のリスクも高かった。

 イギリスの外科医ジョゼフ・リスターが「消毒」という概念を初めて提唱し、ドイツの医師ロベルト・コッホが、細菌が病気の原因になることを初めて証明したのが十九世紀後半である。

 それ以前は、血管に液体を注入するという外科的処置を安全に行うのは、とても困難だったと推測される。

 その後、針や管、容器など輸液に必要な器具が揃い、滅菌によって安全性が担保され、二十世紀以後、静脈内への注射が徐々に普及していった。

【参考文献】
(1)総務省統計局「統計でみるあの時といま No3 第1回国勢調査時(大正9年)といま」(https://www.stat.go.jp/info/anotoki/pdf/census.pdf)
(2)厚生労働省検疫所FORTH「コレラについて(ファクトシート)」(https://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/2018/01111338.html)
(3)厚生労働省検疫所FORTH「コレラ」(https://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/name05.html)
(4)“日本における食塩水皮下注入から静脈内持続点滴注入法の定着までの歩み”岩原良晴.日本医史学雑誌.2012;58:437-55.

(本原稿は、山本健人著すばらしい医学を抜粋、編集したものです)

山本健人(やまもと・たけひと)

2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)
外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に19万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)ほか多数。新刊『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)は3万8000部のベストセラーとなっている。
Twitterアカウント https://twitter.com/keiyou30
公式サイト https://keiyouwhite.com