人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者(@keiyou30)が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

「胃潰瘍」の手術を激減させ、医学界に革命を起こし、ノーベル賞を受賞…外科医の仕事を減らした「すごい薬」とはPhoto: Adobe Stock

人類と酸の戦い

 1950年代まで、胃潰瘍や十二指腸潰瘍などの消化性潰瘍に対抗できる有効な手段は、ほぼないに等しかった。なぜなら、酸の分泌を効果的に抑える薬が存在しなかったからだ。

 水酸化アルミニウムや炭酸水素ナトリウムなど、水に溶けるとアルカリ性を示す制酸薬はよく用いられたが、消化性潰瘍に対する効果としては芳しくなかった。

 すでに分泌された酸を中和する薬ではなく、酸の分泌そのものを抑える薬を開発できないか。

 その難題に多くの科学者が挑んだが、長らく解決の糸口を見つけることはできなかった。

 1960年代、イギリスの製薬企業スミスクライン&フレンチ(現グラクソ・スミスクライン)の研究所に所属する薬理学者ジェームズ・ワイト・ブラックは、ヒスタミンが胃酸の分泌を促進する働きを持つことに着目した。

鍵と鍵穴

 ヒスタミンは、体内のさまざまな場所でつくられ、多様な働きを持つ物質だ。胃では、酸を分泌するシグナルとして働く。

 一般には、じんましんなどのアレルギー症状を引き起こす物質としても知られ、ヒスタミンを抑える「抗ヒスタミン薬」はアレルギーの治療薬として有名だ。

 ヒスタミンは、ヒスタミン受容体に結合することで、その作用を発揮する。ヒスタミンは鍵、受容体は鍵穴と考えるとわかりやすい。

 ヒスタミンに限らず人体内での情報伝達は、さまざまな「鍵」が、それぞれ特定の「鍵穴」にはまることで行われている。

 当時、アレルギーの薬である「抗ヒスタミン薬」はすでに存在したのだが、なぜか胃酸の分泌を抑制する働きはないことが知られていた。

 のちに、胃酸分泌に関わるヒスタミン受容体は、アレルギー反応などに関わるヒスタミン受容体とは異なるタイプであることが判明する。

 つまり、「鍵」であるヒスタミンは、異なる二つのタイプの「鍵穴」にはまることができ、「どの鍵穴にはまるか」によって起こす作用が違うのだ。

 そして従来の「抗ヒスタミン薬」が阻害できるのは、アレルギー反応に関する受容体だけであった。

 従来から知られたヒスタミン受容体「H1受容体」に対して、ブラックは胃酸分泌に関わる受容体のほうを「H2受容体」と名づけ、この受容体をターゲットに定めた(1)。

 H2受容体をブロックできる物質こそが、胃酸分泌を抑える薬になると考えたからだ。

創薬のパラダイムシフト

 1975年、苦心の末にブラックは、おびただしい数の化合物の中から安全かつ有効な物質を見つけ出し、スミスクライン社はH2受容体拮抗薬(H2ブロッカー)「シメチジン」の発売にこぎつけた。

 シメチジンの効果は確かなものだった。

 消化性潰瘍の手術を激減させ、医学界に革命を起こしたのだ。人類がついに、胃酸分泌を抑える薬を手に入れた瞬間だった。

 ブラックの功績は、新薬の開発という一点にとどまるものではなかった。

 受容体をターゲットに定め、分子レベルでこれを妨害する物質を化学合成する、というプロセスそのものが画期的であり、「創薬」という営みにパラダイムシフトを引き起こしたのである。

 1988年、ブラックはノーベル医学生理学賞を受賞。H2ブロッカーは未だに、「外科医の仕事を減らした薬」として語られる。

売り上げ世界一の薬「ガスター」

 シメチジンの発売以後、より良いH2ブロッカーを求め、さまざまな製薬会社が開発競争に挑んだ。

 1979年、山之内製薬(現アステラス製薬)の研究チームは、かつてないほど効果的なH2ブロッカー「YAS424」の開発に成功する。

 その化合物は、シメチジンの30倍以上もの活性を持つことがわかり、のちにファモチジンと名づけられた(2)。

 慎重な臨床試験を経て、1985年、この薬は「ガスター」の商品名で発売された。

 胃を意味する接頭辞「gastro-」に由来する、シンプルでクリアな名称だ。

 ガスターは世界130カ国で販売され、その効果と安全性から一気に売り上げ世界一に上り詰めた(2)。

【参考文献】
(1)The Royal Society Publishing「Sir James Whyte Black OM. 14 June 1924―22 March 2010」
https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsbm.2019.0047
(2)『新薬に挑んだ日本人科学者たち』(塚﨑朝子著、講談社ブルーバックス、二〇一三)

(本原稿は、山本健人著すばらしい医学を抜粋、編集したものです)

山本健人(やまもと・たけひと)

2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)
外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に19万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)ほか多数。新刊『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)は3万8000部のベストセラーとなっている。
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