近衛文麿首相直属のこの研究所は1940年秋に創設、軍だけではなく各省庁、さらに民間からもさまざまな分野の若きエリートが集められて、アメリカとの総力戦についてシミュレーションを繰り返した。

 そこで41年の8月に出た結論は「国力上、日本必敗」。奇襲作戦を敢行すれば緒戦の勝利は見込まれるが、戦争が長引けば経済力・資源量の圧倒的な差で敗退を余儀なくされる。最終的にはソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから、なんとしとも日米開戦を回避しなくてはいけない、というのだ。

 元海軍大佐が十数年前から訴えていた「日米非戦」という提言に、時を経た若きエリートたちも同じく辿り着いたのである。しかし、結局この提言が受け入れられることはなかった。

 いろいろな理由が挙げられるが、実は大きいのは「世論」だ。当時、日本では反米感情も盛り上がっていたが、映画館ではたくさんアメリカ映画が公開されていたので、この国の圧倒的な資源量、経済的豊かさについては誰もが知るところだった。

 こんな大国と戦えば、日本などひとたまりもない、と不安に感じる人も多かった。しかし、一方で、そんな不安をかき消してくれる「提言」も世の中に溢れていたのだ。

 わかりやすいのは、総力戦研究所がシミュレーションをスタートした41年4月に発売された「太平洋波高し : 日本を襲ふ魔手の正体」(中川秀秋 興亜資料研究所)のこの一節だ。