ヤマト運輸の中興の祖であり名経営者として知られる小倉昌男は、「宅配便の生みの親」として紹介されるが、果たして本当だろうか?(ジャーナリスト 横田増生)
宅配便の「生みの親」は
ヤマト・小倉昌男なのか
宅急便の生みの親であるヤマト運輸(現ヤマトホールディングス)の小倉昌男が唱えた「サービスが先、利益は後」や「全員経営」、「安全第一、営業第二」などは、いまも経営学で語り継がれる金言至言だ。
大手荷主であった三越の横暴な要望には正面からNOを突き付け、所管する運輸省(現国交省)が路線免許を出さなかった時は行政訴訟を起こした。郵政省(現総務省)が同社が信書を運んだとして郵便法違反に訴えてきた時も、徹底抗戦した。
生前の小倉昌男に何度も取材した評論家の佐高信は、手放しでこう讃える。
「小倉を私は“官業を食った男”と命名している。旧国鉄の小荷物や郵便局の小包等のお役所仕事を食ったからである。しかし、そのため、運輸省や郵政省からは徹底して厭がらせを受けた。それでも小倉は怯まず、役所を訴えて、遂には路線許可等を認めさせた。世界に冠たる官僚国家の日本で、彼らとケンカして勝った経営者は小倉以外にはいない」(「官僚と闘い官業を食った男 小倉昌男」 ダイヤモンドオンライン)
宅配便業界全体の取り扱い個数が、年間50億個を超えた現在、宅配便なしの生活を想像するのは難しい。ヤマト運輸が宅急便を始めた1976年の取扱個数が170万個強であるのと比べると隔世の感がある(筆者注・宅急便とはヤマト運輸の商品名であり、宅配便は小口荷物の配送サービスの一般名である)。
確かに宅急便は、それまでの物流業界の常識を大きく変えた。
物流とは従来、ビジネスtoビジネス(BtoB)の商取引だった。それを消費者to消費者(CtoC)へと大転換させた。それまで社会の黒子であった物流を生活の一部に溶け込ませた意義は大きい。
しかし、名経営者に名を連ねる小倉昌男の歴史をひもといていくと、大きな“謎”に突き当たる。
最大の謎は、宅急便の創成秘話である。