口と目を見開いたまま……

 榊原さんは、他にも別な入居者との間で、こんなトラブルを見聞きしたと明かす。

「知り合いの奥様が、介護棟に入っているご主人のもとへ面会に行かれたときのことです。19時頃だったそうですが、介護棟の玄関先で職員から『さっきまで、ご主人様はここで元気に遊んでいらっしゃいましたよ』と声をかけられたといいます」

 この女性は普段から介護棟の職員に話かけられることがほぼなかったため、この日、突然話しかけられたことに違和感があったと後に語ったという。女性はそのまま夫の居室へ向かうと、口と目を見開いたままの夫が就寝していた。

「奥様が『貴方、口を閉じなさいよ』と言って、顎のところに手をやるとすでに冷たくなっていたそうです。慌てて職員を呼ぶと、駆け付けた職員が『奥様が(死亡を)見つけられたから警察は呼ばなくてよろしいですね』と言ったそうです」

 女性は気持ちが動転しており、頭が真っ白の内に事態が進んでいったという。その後、到着した医者に死亡が宣告された。

「後に奥様から当時の話を聞くと、ご主人は栄養を管で摂っていたのに、管が外れていたそうです。酸素呼吸のマスクもなぜか遠くに置いてあった。不審に思った奥様が1か月ほど過ぎてから施設に事情説明を求めたそうです。

 ただ施設側の対応は曖昧で、『さっきまで元気に遊んでいた』と証言した職員も、いつの間にか退職されていました。そもそも普段から寝たきりのご主人が夕食時に玄関で遊んでいること自体がおかしいのです」

 もちろん何が事実かはわからない。ただ、職員と入居者の間でこうした類の行き違いが元でトラブルになっているケースが多いと榊原さんは話す。

入居者の扱いに“格差”

 そして、一度、施設や職員に疑念を抱くと、これまで気付かなかったことまで、見えてくるようになる。

「全国的にも有名な某メーカーの会長が買い物帰りに重い荷物を持ってタクシーから降車すると、職員が慌てて近寄って荷物を持ってあげるのを見たことがあります。ですが、腰の曲がった大人しい女性入居者が重い荷物を持っていても見て見ぬふり。人をみているなと感じることは多いです。」

 優雅で安心な生活を夢見ていた榊原さんは今、施設の退去を検討しているという。

(本記事は、『ルポ 超高級老人ホーム』の著者による書下ろし記事です)

甚野博則(じんの・ひろのり)
1973年生まれ。大学卒業後、大手電機メーカーや出版社などを経て2006年から『週刊文春』記者に。2017年の「『甘利明大臣事務所に賄賂1200万円を渡した』実名告発」などの記事で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」のスクープ賞を2度受賞。現在はフリーランスのノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌などで社会ニュースやルポルタージュなどの記事を執筆。近著に『実録ルポ 介護の裏』(文藝春秋)、『ルポ 超高級老人ホーム』(ダイヤモンド社)がある。