気鋭のノンフィクションライター・甚野博則氏の新刊『ルポ 超高級老人ホーム』が話題だ。富裕層の聖域に踏み込んだ同書では、選ばれし者のみが入居する「終の棲家」を徹底取材している。同書の発売を記念した本稿では、当代随一のノンフィクション作家・森功氏が、日本を代表する超大物たちの最晩年の姿に迫る。第1回は、101歳で大往生を遂げた中曽根康弘元首相の、大物すぎる晩年の姿について寄稿いただいた。(取材・文:森功、構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

「ボロボロの財布」に自宅は「借家」、高級料亭の「仲居さん」と…。101歳で大往生した中曽根康弘元首相、格が違いすぎる最晩年内閣総理大臣としての通算在職日数は1806日だった(Photo: Getty Images)

借家暮らしの「風見鶏」

 1918(大正7)年5月27日、群馬県に生まれた中曽根康弘は、元号が令和に改まったばかりの2019(令和元)年11月29日に物故した。享年102(満101歳)、老衰だった。大正、昭和、平成、令和の4つの元号を生きた唯一の内閣総理大臣である。

 幼少期、住み込みの女中が20人もいたという大きな材木商の長男として育った中曽根は、戦中の内務官僚から戦後に国会議員となり、没するまで東京・世田谷区上北沢の豪邸に住んだ。

 実はその豪邸は、長嶋茂雄が中曽根に月額40万円の家賃で貸していた借家だったという逸話も、政界で知られたところである。政治家たるもの、持ち家に住むべきではないという信念を貫いてきたという。

 1980年代の行政改革を率いた中曽根は、国鉄民営化をはじめとする欧米の新自由主義を政策に取り入れた先駆者である。

 英首相のマーガレット・サッチャーや米大統領のロナルド・レーガンと気脈を通じ、米首相補佐官のヘンリー・キッシンジャーの盟友とされた中曽根は、日本の姿を変えたといっていい。

 反面、現在の「政治とカネ」の原点とされるリクルート事件で東京地検特捜部の本丸と目されただけでなく、ロッキード事件でもその名が取り沙汰されてもいた。

ナベツネ肝煎りの
「超高級シニア向け病院」

 その中曽根康弘は大勲位として優雅な終末を迎えている。夫人の蔦子は地質学者・小林儀一郎の3女である。

 中曽根の晩年について、信頼してきたブレーンの1人に聞いた。

「奥様も91歳まで長生きしました。中曽根先生は盟友である読売グループのナベツネさんに頼んで蔦子さんを『慶友病院』に入れ、夫婦ともに最期をそこで迎えました」

 正式名称「よみうりランド慶友病院」は、読売新聞社主渡辺恒雄の肝煎りで2005(平成17)年4月1日、東京・稲城市に開設された。

 施設は延べ床面積4534坪の6階建てで、198室(240ベッド)ある。入居者はゆったりとした部屋で過ごし、3269坪の広大な敷地を散歩する。文字どおりの高級老人医療施設である。多くの政財界の重鎮やその家族がこの「終の棲家」で終末を迎えてきた。