小学校高学年になり、従来の潔癖症のせいでますます不登校気味になった著者。そんな彼女を許さなかった父親は、ある日、とうとう一線を超える“制裁”を彼女に加えてしまったのだった――。「40年間、一度も働いたことがない。」という強迫性障害を患う女性が、艱難辛苦だった日々を赤裸々に綴る。本稿は、難波ふみ『気がつけば40年間無職だった。』(古書みつけ)の一部を抜粋・編集したものです。
父からの壮絶な虐待
忘れられない記憶
忘れようにも忘れられない記憶は、10歳。
毎日、本格的に両親と闘って、もうどうしようもないところまで追い詰められていた、ある日のことだ。
その頃の私は、夕方になって父の車の音がするのを心底、恐れていた。
母にも当然のように怒られてはいたのだが、父のほうが圧倒的に怖かったのだ。
なぜならば、父は怒鳴りながら手を出す人だったから……。
私たちきょうだい3人は、父から怒られるとき、ゲンコツを喰らうのは当たり前の環境にいた。それに、機嫌の読めない人でもあったので、笑った直後に怒る、などもしょっちゅうで、二重の意味で怖い人であった。
その日は、夕方ではなく昼間に車の音がした。
怒り心頭に発した母が、父に電話をしていたのだ。そして、今までにない緊張感と共に、玄関のドアの開く音がした。
平凡な2階建て3DKの社宅。その2階の和室が私と姉の部屋だった。平日の昼間なので、当然のことながら部屋には私ひとりきり。危機を察知した私は、襖に木刀を突っ掛けて入り口をロックした。
“ソレ”をするのは、そのときが初めてではなかったと思う。いつも両親の怒りから逃げるために使っていた手段だった。そして、それはほんの少しの時間稼ぎにしかならないこともわかっていた。
階段を上ってくる足音。