毒母によるスパルタ教育虐待の末、中学受験で全滅したE子さん。変わらない母の“同じ教育方針”もとで挑んだ高校受験では、志望校に合格した。E子さんの体験は「教育虐待とは何か」を考えるうえで示唆に富む。さらに、E子さんが毒親と絶縁しなかった“深すぎる理由”に目からウロコが落ちた。(取材・文/ジャーナリスト 村田くみ)
同じ勉強量で教育虐待に
“感じる子”と“感じない子”の違い
E子さんの母(70代)は自分ファーストな考え方で、日常生活の中でも自分の思い通りにならないと機嫌が悪くなったという。
「大学生の頃、私が高熱を出して寝ていたときに、『買い物に行く約束していたじゃない』と言って、寝ている私を叩き起こして無理やり連れて行くこともありました。ホームステイを受け入れてあなたの部屋を使うことにしたからと、急に部屋を追い出すなど、娘の都合は二の次で自分がこうだと思った通りに動かないと機嫌が悪くなりました。中学受験も失敗して結局自分の思い通りにはならなかったので、それ以降は私のことは何もかも気に入らないという感じでした」(E子さん)
ただ、母は近所の人たちには、手作りの食事の差し入れをしたり、プレゼントを送ったりするので、“いい人”で“やさしいお母さん”だった。ところが、家の中でE子さんに見せる顔は違った。
「今思うと金銭的に余裕がなくなると、私に当たり、過去の出来事まで持ち出して責め立てて追い詰め、最後は私が、「そんなにいうなら自分で出すからいいよ!」と言って受験の費用や冬期講習などの費用をお年玉で払っていました。結局は、母の手のひらでいいように転がされてきたのかもしれません」
例えば、学校で「こんな出来事があった」と報告をしたとしても、話に乗ってくるわけでもなく、「あっそう」「ふーん」で済まさせることが続き、母娘の会話はそんなに多くはなかった。
幼少期にアメリカンスクールを見学したときに英語圏の生活に興味を持ったE子さん。中学受験に失敗した際、母親の出した基準を満たす高校に入学できたら1年間の留学を認める、という約束を取り付けた。