しかし、ここで谷崎が言っているのは佐藤春夫と千代の肉体関係のことで、すでに佐藤と千代の入浴についての文章で言われていたとおり、それはなかったと主張しているのである。

 そのことの真偽はともかく、2人の間に、長年にわたるニュアンスの変動はあったものの、恋愛感情が流れていたことは疑いなく、これを広義に「姦通」と言われてもやむをえないところではあろう。逆に、ここが突かれて痛いところなので、必死に弁解しているのだとも取れる。

 このように谷崎潤一郎・佐藤春夫・千代をめぐる「事件」が、「細君譲渡」ということよりは、「姦通」として問題化されていたのは、もちろん、これが姦通罪も存在する時代であって、不倫行為は厳しく指弾される傾向があったからに違いない。

 それに比べれば、今日では姦通に対するまなざしははるかに緩やかになっている。かわりに女性解放思想やフェミニズムと連動して、女性をモノ扱いする「妻譲渡」という事態への批判が高まっているのだと解釈できる。