宮沢賢治は「あえて生涯童貞」を貫いた!?「同僚女性からの求愛」を拒否した意外な過去Photo:PIXTA

後世に語り継がれる詩や小説を遺した「文豪」には、世間一般の「ふつう」に馴染めなかった者が少なくない。 しかし「こじらせていた」からこそ、彼・彼女らは文学の才能を開花させることができたと言える。今回は、書籍『こじらせ文学史 ~文豪たちのコンプレックス~』(ABCアーク)から一部を抜粋して、宮沢賢治の知られざる素顔に迫る。生涯童貞だったことで知られる賢治だが、実は同僚女性から「想いを寄せられていた」過去があり…。

ライスカレーを拒み
童貞を守った

今回紹介する文豪:宮沢賢治(1896-1933)
詩人、童話作家。岩手県出身。盛岡高等農林学校卒。農業研究家・農業指導者、教育者として活躍するかたわら、独特な感性にもとづく詩や童話を書いた。詩集『春と修羅』、童話に『注文の多い料理店』『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』など。クラシック音楽の造詣が深く、多くのレコードを所有していた。

 教育に関心が高い宮沢賢治が、農業私塾「羅須地人協会(らすちじんきょうかい)」を設立、自ら教壇にも立っていた頃のこと。賢治は女性教師・高瀬露(たかせ・つゆ)に布団一式をプレゼントしているが、高瀬が賢治に好意的になると、なぜか態度を翻し、彼女の求愛を拒むようになった。

 高瀬には居留守を使い、彼女がつくってくれたライスカレーを彼だけがひとくちも食べようともしなかった。賢治の冷淡な態度に心を深く傷つけられた高瀬は、賢治ご自慢のオルガンの前に走っていき、その鍵盤を激しく叩きつけて怒ったという。

 賢治には実の妹のトシや、後輩の保阪嘉内(ほさか・かない)に禁断の思いを抱いていたという説があるが、むし肉体的に結ばれる可能性が低いからこそ、トシや保阪にはベタベタできたと考えられる。

 つまり賢治は意図的に自分が童貞を失わぬよう、童貞である自分を熟成させながら生きていたのではないだろうか。

性欲と賢治

 友人・藤原嘉藤治(かとうじ)に<性欲の乱費は、君自殺だよ、いい仕事はできないよ>(※境忠一『評伝 宮沢賢治』)と語っていた賢治だが、床に積み上げたら30センチの高さにもなるほど膨大な春画のコレクションを自宅に溜め込んでおり、その大半が男女の交合図であった。教員時代には学校に持っていって、教師仲間と鑑賞会を開き、生徒たちへの性教育にも用いたという。

 ほかにも日本語に翻訳されたハヴロック・エリスによる性心理学の大著『性の心理』数十巻を所有しており、日本版では伏せ字にされている部分を読むために原著まで買い揃えていた。