神戸市岡本在住時代の谷崎潤一郎を蔭で支えた友人妹尾健太郎と君子夫妻がそれで、秦恒平はその間の事情を次のように説明している。
「[谷崎が妹尾夫妻を描いたらしい未発見の小説]『お栂』の行方は今や『行方不明』という以外にない。[原稿は]多分谷崎が君子夫人の生い立ちを聴いて、そのまま当時の妻[丁未子]に筆録させたものだろう。
この妹尾夫人は或る商家の若旦那と行儀見習いの娘との間に生まれ、生後まもなく貰い子に出されたものの、養家も零落、十歳にならぬ前に自分の意志で狭斜の巷に身を寄せた人だったという。
芸もよくおぼえ才覚も人気もあったことから、さる貿易商社の人に落籍されて結婚し子供も生まれたものの、夫が浮気する一方その頃通訳兼社員だった年若い妹尾健太郎と知り合って恋愛、昭和2年ころ円満にその夫から君子夫人は妹尾に〈譲られ〉[※秦による傍点をヤマ括弧で表記]再婚したのだという」(『神と玩具との間 上』17頁)。