「千円札の顔」として長く親しまれた夏目漱石「1000円札の顔」として長く親しまれた夏目漱石 Photo:PIXTA

夏目漱石、太宰治、司馬遼太郎…日本の近代文学史に名を刻む作家が残した作品は、なぜ「名著」と呼ばれ、時代を越えて読み継がれてきたのでしょうか。その真価や歴史的意義を劇作家の平田オリザ氏が解説します。平田氏の新著『名著入門 日本近代文学50選』の中から、今回は夏目漱石の『坊っちゃん』について抜粋・再編集してご紹介します。(劇作家 平田オリザ)

夏目漱石が成し遂げた
言文一致の日本近代文学の完成

 島崎藤村が『破戒』を刊行し、日本近代文学がその黎明期を終えようとしていた一九○六年、ちょうど同じ時期に夏目漱石は二作目の中長編『坊っちゃん』を書き上げた。

書影『坊っちゃん』(角川文庫)『坊っちゃん』(角川文庫)
夏目漱石(なつめ・そうせき)【1867~1916年】
書影:角川文庫

 英国留学中から発症した神経衰弱の緩和の方策として筆任せに書かれた処女作『吾輩は猫である』。幻想的ではあるが、いささか高踏的に過ぎる短編『倫敦塔』。それらに続く作品となる『坊っちゃん』は、構成もしっかりとしており、初期の代表作と呼ぶにふさわしい。

 後年の重々しい作品群とも異なり、軽妙洒脱、文体のリズムも弾み、ここに『破戒』と並んで、まったく別の形で言文一致の日本近代文学が完成を見せたと言える。

 親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。

 という書き出しから、

 だから清の墓は小日向の養源寺にある。

 という文末まで、そのリズムが乱れることはない。漱石は、これを十日で書いたと言うが、おそらく頭の中に、すでに書くべき文章がほぼ完全な形で浮かんでいたのだろう。

 落語好きだった漱石の文体は、声に出して読んでも、そのまま耳に入り意味がとれる。これは当時の文章としては画期的なことであった。