紙屑のような値で取引されていた
北海道がどん底時代の「ニトリ」株

 1998年7月にファンドの運用が始まる直前、私は仙台に外交に行き、そのまま夜行電車で札幌に向かいました。行き先は家具屋の「ニトリ」です。

 前年の1997年11月、北海道拓殖銀行が経営破綻。そのため、安定株主として北海道拓殖銀行が持っていた80万株のニトリ株はいずれ処分されることになります。

 北海道経済はどん底に落ち込み、この銀行がメインバンクだったニトリ株も紙屑のような値段で取引されていました(というより出来高はほとんどゼロでした)。札幌単独上場なので機関投資家で買うところはありません。売却は困難を極めることが予想されました。

 私は朝、札幌についてニトリに向かいIR担当者にインタビューしました。確かに北海道経済はドン底でニトリの既存店売上高もマイナスでしたが、関東に出店した3店舗はとても好調だったのです。

 家具業界はとても分散した市場です。小さな家具屋ばかりでシェアの高い会社はありません。当時、機関投資家に人気のあった大塚家具ですら市場シェアは5%もなかったぐらいでしたから。