プーチン氏の前任のエリツィン時代、大統領と議会の関係はまったく異なった。エリツィン氏は下院から3回も重大犯罪を理由に弾劾の手続きを受けた。
特に1999年のケースがよく知られている。今はすっかり牙を抜かれてしまった共産党が、エリツィン氏への弾劾手続きの音頭を取った。問われた罪状は5件。その中には、エリツィン氏が1994年12月に開始したチェチェンへの大規模な攻撃も含まれていた。
共産党はこの紛争を引き起こしたエリツィン氏の大統領令について「多数の犠牲者をもたらした犯罪行為だ」と主張した。
1999年5月に行われた下院での採決の結果、定数450のうち過半数の284人が弾劾に賛成票を投じた。しかし、手続きの継続に必要な300票には届かず、弾劾には至らなかった。
大統領令で始まった軍事行動に対して下院から犯罪に問う声が上がること、ましてそれが過半数の賛同を集めることなど、今となっては想像もつかないことだ。
プーチン氏はこのとき、KGBの主要な後継組織として国内の治安を司る連邦保安庁(FSB)の長官を務めていた。弾劾のなりゆきをつぶさに観察していたプーチン氏が、議会を政権に逆らえない存在にする必要があると痛感したことは間違いないだろう。
2011年の下院選では、不正疑惑に怒った市民がモスクワなどで大規模な抗議デモを行った。その翌年、プーチン氏が4年ぶりに大統領に復帰すると、選挙監視団体などを「外国の代理人」に指定する制度が作られ、活動が抑え込まれた。
「外国の代理人」制度は、導入当初は外国からの資金援助を受けてロシア国内で政治的な活動をするNGOが対象だった。それが2017年にマスメディア、2019年に個人へと対象が広がった。
さらに2022年2月のウクライナ全面侵攻開始後、資金提供の事実を立証できなくても「外国の影響下にある」と政府が認定すれば指定できるようになり、侵攻を批判するジャーナリストや文化人らが軒並み指定されてしまった。
政権にとって目障りな有力者に好き勝手に「非国民」のレッテルを貼るための制度と化してしまったのだ。
プーチンが絶対権力を手にした結果
国民は国家に対して無責任になった
ちなみにロシア語で外国の代理人は「иностранный агент」と書く。「агент」は英語の「agent(エージェント)」に相当する。「スパイ」や「工作員」といった語感を持つ言葉だ。