全世界で700万人に読まれたロングセラーシリーズの『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』(ワークマンパブリッシング著/千葉敏生訳)がダイヤモンド社から翻訳出版され、好評を博している。本村凌二氏(東京大学名誉教授)からも「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」と絶賛されている。その人気の理由は、カラフルで可愛いイラストで世界史の流れがつかめること。それに加えて、世界史のキーパーソンがきちんと押さえられていることも、大きな特徴となる。
そこで本書で登場する歴史人物のなかから、とりわけユニークな存在をピックアップ。今回は帝政ロシアの礎を築いたピョートル大帝を取り上げる。ロシアを西欧化させて近代国家へと生まれ変わらせたピョートル大帝は、一体どんな人物だったのか。著述家・偉人研究家の真山知幸氏に寄稿していただいた。
プーチンが憧れた人物
ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻にあたって、引き合いに出したのが、ロシア帝国の初代皇帝ピョートル大帝である。
ピョートル大帝は17世紀末~18世紀にかけてロシア皇帝の座に君臨し、西欧化に向けて大きく舵を切った。
大改革を断行しながら、スウェーデンとの長年にわたる領土戦争を繰り広げて、見事に勝利。バルト海の覇者となった。
プーチンはこの大北方戦争に触れて「ピョートル大帝が何かを奪ったわけではなく、取り戻したのだ」として、今回のロシアによるウクライナ侵攻を正当化している。
名リーダーを育んだ「過酷な幼少期」
なんとも時代錯誤な言い分だが、プーチンがピョートル大帝に憧れる気持ちはよく理解できる。
ピョートルは他国が想像もしなかった大胆な行動で世界を驚かせ、ロシアを大国へと変貌させることに成功した。
なぜ、ピョートルはそんなことが可能だったのか。その理由は、彼が皇帝の座に就いた経緯と、権力闘争の渦中で受けた仕打ちに、凝縮されている。
改革を夢見て亡くなった父
ピョートル大帝は1672年、父のアレクセイ・ミハイロヴィチ帝と、その再婚相手であるナタリヤ・ナルィシュキナの間に生まれた。
父アレクセイの治世は戦いの連続だった。
コサックの反乱もあれば、オスマン帝国、ポーランド、スウェーデンと対峙しなければならなかった。
ロシアが生き残るには、ヨーロッパから優れた技術を学ぶほかなかったが、国内の伝統主義者たちによって、改革を阻まれてきた。
「ロシアの風習の神聖なる遺産を破壊するつもりですか!」
そう責められると、父アレクセイは自分の意見を引っ込めたという。少々疲れたのかもしれない。
壊血病と水腫に侵されて、1676年に47歳で死去。4歳のピョートルを残し、31年あまりの長い治世を終えている。