分子古生物学者である著者が、身近な話題も盛り込んだ講義スタイルで、生物学の最新の知見を親切に、ユーモアたっぷりに、ロマンティックに語るロングセラー『若い読者に贈る美しい生物学講義』。養老孟司氏「面白くてためになる。生物学に興味がある人はまず本書を読んだほうがいいと思います。」、竹内薫氏「めっちゃ面白い! こんな本を高校生の頃に読みたかった!!」、山口周氏「変化の時代、“生き残りの秘訣”は生物から学びましょう。」、佐藤優氏「人間について深く知るための必読書。」、ヤンデル先生(@Dr_yandel)「『若い読者に贈る美しい生物学講義』は読む前と読んだあとでぜんぜん印象が違う。印象は「子ども電話相談室が好きな大人が読む本」。科学の子から大人になった人向け! 相談員がどんどん突っ走っていく感じがほほえましい。『こわいもの知らずの病理学講義』が好きな人にもおすすめ。」、長谷川眞理子氏「高校までの生物の授業がつまらなかった大人たちも、今、つまらないと思っている生徒たちも、本書を読めば生命の美しさに感動し、もっと知りたいと思うと、私は確信する。」(朝日新聞書評)と各氏から評価されている。今回は書き下ろし原稿を特別にお届けする。

【衝撃の遺伝子研究】「男性がいなくなって人類は絶滅する」説を検証してみたPhoto: Adobe Stock

人類は絶滅するのか

 私たちはSRYという遺伝子によって性別が決められている。SRYは、まだ男性と女性に分かれていない未分化な生殖腺を、男性の精巣に分化させる遺伝子だ。いったん精巣ができると、そこから男性ホルモンであるアンドロゲンが分泌されて、さまざまな男性的な特徴が形成されていく。

 ところが将来的には、このSRY遺伝子が消滅して男性がいなくなり、人類は絶滅するという説がある。それは、どのくらい確かな説なのだろうか。本当に、人類は絶滅してしまうのだろうか。

 私たちの細胞の中には数万個の遺伝子が含まれているが、それらは46本の染色体に分かれて存在している。46本のうち2本は性染色体と呼ばれ、性別を決定している。性染色体にはX染色体とY染色体があり、X染色体が2本だと女性に、X染色体とY染色体が1本ずつだと男性になるのである。さきほど述べたSRY遺伝子はY染色体に乗っており、このSRY遺伝子があると男性になるわけだ。

失われやすい遺伝子

 ところで、このY染色体からは、遺伝子が失われやすいことが知られている。X染色体であれば、もし遺伝子が損傷しても、女性はX染色体を2本持っているので、もう一方の遺伝子を使って修復することができる。しかし、Y染色体はつねに1本しかないので、遺伝子が損傷しても修復することができない。そのため、遺伝子が失われやすいと考えられる。

 ある研究によれば、哺乳類のY染色体はX染色体から派生したとされ、およそ3億年前には約1500個の遺伝子があったと見積もられている。しかし、その大半は失われて、現在残っているのは約50個にすぎない。平均すると20万年ごとに1個の遺伝子が失われたことになる。このペースでいくと、SRY遺伝子も含めて約1000万年でY染色体の遺伝子がすべて失われてしまうのである。

 そして、SRY遺伝子が失われれば、男性がいなくなって人類は絶滅する。この研究は、そう解釈されることもあったのだが、どうやらその心配はなさそうだ。

アマミトゲネズミの場合

 サルの仲間である霊長類のY染色体を調べた研究によると、Y染色体から遺伝子が失われていったのは大昔の話であり、現在のY染色体は安定しているという。それが正しければ、Y染色体がなくなることはないだろう。しかし、万一この研究が間違っていて、将来的にY染色体がなくなったとしても、人類は絶滅しなくて済みそうなのだ。

 私たちの性染色体の組み合わせは、男性がXYで女性がXXだが、奄美大島に棲むアマミトゲネズミの性染色体の組み合わせは、オスもメスもXOである。

 つまり、X染色体が1本あるだけで、Y染色体はない。ところが、ちゃんとオスが生まれて精子も作られる。その仕組みは完全には解明されていないが、Y染色体の遺伝子がX染色体に移動したり、失われた遺伝子については新たな遺伝子がその役割を担ったりしているらしい。

 こういう哺乳類はモグラレミングなど他にも知られており、Y染色体やSRY遺伝子の消失は、かならずしもオスの消失には繋がらないようである。

 そもそも、オスやメスの歴史は古く、SRY遺伝子が誕生する前から存在していたことは確実である。広く生物界を見渡せば、オスとメスを作る遺伝子はさまざまであり、遺伝子以外の要因、たとえば温度などの環境要因でオスとメスを作り分ける生物も珍しくない。

 私たちの仲間も、オスとメスを決定するのに、今はたまたまSRY遺伝子を使っているけれど、SRY遺伝子が誕生する前は別の手段を使っていただろうし、もしSRY遺伝子がなくなれば、また別の方法を使うようになるだろう。諸行無常な時の流れのなかで、さまざまなことが変化しても、オスとメスは存続することができるのだ。

 人類の絶滅を心配するのであれば、もっと別の身近な話題に目を向けたほうがよいだろう。

(本原稿は『若い読者に贈る美しい生物学講義』の著者更科功氏による書き下ろし連載です。※隔月掲載予定)