「いつも気を使い過ぎて、心が疲れてしまう」「このままで大丈夫なのか、自信がない」と不安になったりモヤモヤしてしまうことはないでしょうか? そんな悩みを吹き飛ばし、胸が晴れる気持ちにしてくれるのが『精神科医が娘に送る心理学の手紙――思い通りにならない世の中を軽やかに渡り歩く37のメッセージ』です。悩む人たちに40年以上向き合ってきた精神科医が、自分の娘に「どうしても伝えたかったこと」を綴った本書は、韓国で20万部を超えるベストセラーとなりました。本記事では、その内容の一部を紹介します。
失敗が多いほど人生の後悔は少なくなる
「人生は過程の連続で、結末があるわけではない」
これは、39歳でデビューして以来、100編以上の作品を残した小説家の朴婉緒が残した言葉だ。
彼女は人生を登山にたとえ、「苦しい道のりの末にようやく頂上にたどり着いても、そこで味わえる歓喜はほんのいっときです。もしこれが人生であるなら、山を登る最中にも喜びを見出そうとすべきなのではないでしょうか」と説いた。
実際、彼女は文章が浮かばないときには、「軍事境界線を警備する歩哨兵よりも粘り強く」原稿に向き合ったという。それこそ無意味にも思えるような過程を楽しめる人でなければ、到底乗り越えられなかった瞬間の連続だったに違いない。
無駄骨というと、まったく何の身にもならなかったことのように思うが、実際はその試行錯誤の過程自体に得ることがあるものだ。
それなのに私たちは、無駄に見えることにはやたらケチをつけたがる。仕事でも趣味でも、何かをするからには努力しただけの結果が必ず伴うべきだと考えるため、これがチャレンジへの足かせとなる。
一昔前までは「若気の至り」という免罪符の下、冒険は若者の特権だと考えられていたものだが、今は状況が様変わりして若者の意識まで変えてしまった。
今の社会では、プランAが失敗したからとプランBを試すことは簡単ではない。だからこそ試行錯誤が少ない道、誰かがすでに辿った道を選ぶほうが安全だと考えるようになるのだ。
やりたいことをちょっとかじってみたくらいでは、すぐに何かの役に立つことはないかもしれない。
しかし何かにチャレンジしたという経験の種は、40歳や50歳になってから、あるいはもっと先で花を咲かせることもある。
終身雇用という概念がなくなった昨今、40代半ばで引退を考える人によく出会う。彼らの多くは、「この先、どう生きていったらいいのか分からない」と言う。
もし彼らが若いうちから、一見的外れのような場所にも種を蒔いていたらどうなっていただろうか? 日本の精神科医である斎藤茂太はこう言っている。
「たくさん転んだ人ほど軽やかに起き上がる。逆に転ばない方法だけを学んできた人は、起き上がり方も分からないもの。大切なのは、転ばないことよりすぐに起き上がることなのだ」
そのとおり。無駄骨を避けることによる一番の弊害とは何だと思う? ひとえに経験が不足することだ。それは本人の将来を大きく左右することとなる。
何よりも、40歳になり、50歳を超えると、守るべきものが増えすぎて気軽に無駄骨も折れなくなるのだ。やはり冒険は若者の特権のようだ。
フランスの小説家アナトール・フランスは、「私は賢さからくる無関心よりは、熱中したバカさ加減のほうが好きだ」と言っている。
まったく言い得て妙だ。たくさんチャレンジすればその分失敗も多くなるが、人生の後悔は少なくなる。しかも世の中のあらゆる条件を満たし、人を満足させる完璧な選択などもまたないのだ。
だから失敗のない選択肢を選ぼうとしてためらったり、選ばなかったものの価値を測る「機会費用」といった言葉に萎縮しないでほしい。
今、思いきり無駄骨を折って積んだ経験こそが、あなただけの個性であり、あなただけの人生の重みとなるのだから。
(本記事は『精神科医が娘に送る心理学の手紙――思い通りにならない世の中を軽やかに渡り歩く37のメッセージ』の一部を抜粋・編集したものです)