しかし、この経験は単に楽だったというだけではありません。世代を越えた交流は、「老害脳」化を防ぐ要素となります。
若い方たちの話に出てくる流行の話題や新しい概念などを知らず、見当すらつかないときに、「それって何?」「すごく面白そうだね」と子どものような顔をして食いつけるのか、自分の不安さや自信のなさを隠すために、「仕事に関係のないくだらない話は止めろ」「そんな話はどうでもいい」と不機嫌そうに怒鳴るのかで、その場の価値も、若い人たちの力も、そして自分自身の老化も大きく違ってくるはずです。
世代も個人も超えて、自由な発想が飛び交い、ともに力を合わせて働ける場所を作るか、それとも邪魔をし、ぶち壊すのか。私のような世代が、もしも生き生きとしていたい、成長していたいと思うのなら、若い世代との交流を積極的に行うべきです。そうすることで、多くの若い人たちの活躍にもつながり、社会が活性化するのではないかと思います。
異なる脳の交流が成長を生む
「老害」が断つ未来への道
脳科学の研究者としての見方を付け加えると、これは異なる脳個性同士の相互作用をできるだけたくさん起こそうとするための努力でもあります。
1つ1つが異なる脳は、互いがつながり、違いを認識することで成長します。あるいは、1人で生きているよりも、社会でいろいろな人と生きているほうが成長力は高いのです。これは、経済や社会が分業で成り立っていることでも明白です。

ならば、「老害」の最大の悪は、その相互作用を断ち切ってしまうことに他なりません。いろいろな他の脳との交流のルートを遮断してしまうわけです。
私自身も、私の脳が他人と交流することで、どのような作用を生み出しているのかを完全に把握できているわけではありません。少なくとも、まだ破壊する側には回っていないと信じたいところです。
そして、今でも他の方から私の活動に対して評価や感想、温かいお言葉やときには批判をいただき、そのこと自体がとても刺激になることが少なくありません。自分の行動、つまり脳の動きの結果として現れた行動が、他人からはどのように評価されていたのかを知ることが、とても楽しいのです。