アメリカ人「何でそんなこと聞くの?」医師がうっかり聞いて後悔した「恥ずかしい質問」写真はイメージです Photo:PIXTA

年功序列や肩書、過去の功績などが重視されている日本社会。ところがアメリカでは年齢や出身大学を聞いただけで、「なんでそんなことを聞くの?」と不思議に思われてしまうことも少なくないという。過去の栄光や年齢に縛られることで柔軟な考え方ができなくなり、日本社会の「老害化」が進んでしまう懸念について、医学博士が解説する。※本稿は、加藤俊徳『老害脳』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を抜粋・編集したものです。

秩序や肩書を重んじるこの国で
「老害脳」化は日本だけの現象か?

 私たちの生きる日本社会は、秩序や肩書を重んじ、年長者を敬う文化を持っているために「老害」が発生しやすく、また「まん延」しやすいのではないか。あるいはもう少し広い意味で、儒教の影響を多かれ少なかれ残している東アジアの文化圏に共通しているのかもしれません。そして、日本がすでに少子高齢化に突入している中、社会のさまざまな場所で問題が起きていますが、それを問題として認めず、正面から対処しようとしない状況も、もしかしたら「老害」を中核にして起きている可能性が考えられます。

 脳の仕組みは、社会の状況、あるいは社会の構造から、よくも悪くも何らかの影響を受けています。反対に私たちの脳が社会のあり方を規定し、また加速させている側面もあります。もしもこの社会に問題があるのであれば、少なからずその原因は、この社会を構成している人々の脳に起きている問題のためでもあるのです。

先人と比較することはない
日米で異なる大谷翔平の報じ方

 二刀流で大活躍の大谷翔平選手を評するとき、日本とアメリカでは少し違った見方があるように感じます。

 日本でよく聞かれるのは「ベーブ・ルース以来の……」という枕詞です。

 無論ベーブ・ルースはレジェンドであり、かつて日本にやってきて試合をしたという縁もあります。何せ100年近くも前の伝説が再び目の前に現れていると表現され、見たこともないレジェンドに匹敵する選手だと紹介されると、がぜん日本人はうれしくなってしまうのではないでしょうか。

 一方で、アメリカでは、大谷選手とベーブ・ルースを「比較」することはあまりありません。

 あくまで、大谷選手が争っているのは現在の現役選手たちであって、引退した選手たちは記録の中に生きているに過ぎません。レジェンドをリスペクトはしても権威を感じる必要はないし、そもそも現役選手と過去の選手の数字を比較すること自体あまりしません。現役は現役、歴史は歴史であって、関係ないと考えているのではないでしょうか。