「円熟」のような領域に
足を踏み入れたい

秋吉 私も古希。いろいろなことがあって、もう十分頑張ったんじゃないかという気がしないでもない。その一方で──かつて自分が理想とした姿には追いついていないと思っています。

下重 十分のような、まだまだのような。たとえば何ができていないのでしょう。

秋吉 真理の探究です。そのためには、もっとエネルギッシュに、勇気を振り絞って「大冒険」できたらよかったですね。ずっと、ほどほどのところで折り合いをつけて生き続けてしまった気がするから。

下重 今からそれを変えていこうとは思わない?あと何十年かは生きるわよ(笑)。

秋吉 ところが、目指すものがちょっと変わったんです。

 人生の節目の年齢ってありますけど、私はこれまで三十路、四十路どころか、「50歳の大台に乗る」だとか、還暦だとか、いっさい意識することがありませんでした。ところが70歳を目前に、つまり名実ともにシニアの仲間入りをするというタイミングで“それ”は、いきなりやってきたの。真理の探究じゃなく「円熟」のような領域に足を踏み入れたいという気がしてきたんです。

守ってきた「少女の幻想」
その殻を破ってみたい

下重 突然そう思ったの?

秋吉 いきなりでした。思うというより、直観に近いものが降ってきた。

下重 女優という職業を意識してのことじゃないわね。

書影『母を葬る』(新潮新書)『母を葬る』(新潮新書)
秋吉久美子、下重暁子 著

秋吉 ええ、一個の人間として。

 女優としては、まさしく「七十(しちじゅう)にして矩(のり)を踰(こ)えず」という実感をもっています。自由に演技はしているんだけれど「矩を踰えない」。つまり、50年を超えるキャリアで「土台」はしっかりできているので、危うさはありません。

 それとは別に、もっと人として物事に動じない、円熟に近いものを手に入れたい。これまでまっすぐで脆い「少女の幻想」のような感性を守ってきたけれど、そろそろ殻を破ってもいいのかなって。その結果、人でなしになるのかもしれないですけど。

下重 人でなしになった秋吉さん、ちょっとみてみたいわね。あなたは本当にストイックですから。

秋吉 やっと生き慣れてきた。人間は、誰でも失敗するとわかった。これからはもうちょっと肩の力を抜いて、ひらり、ひらりと生きられたらいいのかな。