母と娘写真はイメージです Photo:PIXTA

米寿(88歳)の作家・下重暁子さんの母が亡くなった時、その枕元から短刀が見つかった。女優・秋吉久美子さんは、古希(70歳)を迎えるにあたって、まっすぐで脆い「少女の幻想」の殻を破ろうという思いに至った。時代を超えて、新しい女性の生き方を切り開いてきた2人が、今思うこととは。※本稿は、秋吉久美子 下重暁子『母を葬る』(新潮新書)の一部を抜粋・編集したものです。

吹き付ける風を遮る
「屏風」のような母

秋吉 下重さんがお母さまについて冷静に考えられるようになったのは、いつ頃のことでしょうか。

下重 少なくとも、亡くなって10年くらい経ってからですね。いなくなった直後は、落ち着いて考えることなんてできなかった。

 こんなこというと叱られそうだけど、父の時にはそれほどでもなかったのに、母が亡くなった時には……身震いするような感覚をもちました。それまでは私の前に母という屏風があって、こちらへ向かって吹きつける風を遮ってくれていた。なんとなくその陰に隠れているような感じだったけれど。

秋吉 お母さまという屏風。なんだか、「スタンドバイミー」みたいですね。

下重 そんな母が亡くなり、私を守ってくれる人はいよいよいなくなった。それと同時に、屏風が取り払われて見晴らしがよくなった気もしています。空のずっと向こうまで、見渡すことができるような……。

秋吉 心細さとともに、開放感もあった。

生きるための決意?
枕元の「備前長船」

下重 それからね──母が亡くなってすぐに、すごい発見があったの。遺品を整理していたら、ベッドの枕元から短刀が出てきた。

秋吉 短刀ですか?

下重 「備前長船(おさふね)」の銘が刻まれている。鎌倉時代から続く名門刀工の仕事です。プロにも鑑定してもらったのですが、間違いありませんでした。

秋吉 ああ、刃物だから、鑑定書をもらって初めて、美術品として手元に置いておけるわけですね。

下重 そうそう。確かな品ですから、売れば結構なお金になるでしょうけれど。それを、母が枕元に置いていたことの意味をずっと考えていたの。

秋吉 常に死を覚悟していたのでしょうか。

下重 明治の女だから、万一の時には自分で自分の身を守るつもりだったのか。つまりあなたのいうように、死を考えながら生きていたのかなあ……と、しばらくの間はそんなふうにも考えていました。でもね、母は「命を絶つためじゃなく、生きるため」に、刀を傍に置いていたんじゃないかと気づいたのです。

秋吉 短刀によって生を実感し、明日を生きるための決意を固めていた?

下重 そんな予感があるの。

 それで、ようやく母のことがわかったような気がするんです。父や私との関係性も含めて、母はただただ耐え忍んでいたのではなくて、意思をもってそういう生き方を選んでいたんじゃないか、って。胸の奥底に溜めつづけたエネルギーが、生きる糧になっていた。