
母にとって「優しくない娘」だったと語る、米寿(88歳)の作家・下重暁子さん。「少女」のままだった母には反抗できなかったと語る、古希(70歳)を迎えた女優・秋吉久美子さん。母への感じ方は異なっているが、2人とも看取ってから歳月が経っても、母を葬(おく)ることができていないと感じている。※本稿は、秋吉久美子 下重暁子『母を葬る』(新潮新書)の一部を抜粋・編集したものです。
「寂しい」とは口にしない
気丈な母親の意地
下重 母にとっては「優しくない娘」が当たり前でした。父が亡くなってから10年近くのあいだ1人住まいをしていた母ですが、私がつれあいと暮らすマンションを訪ねてきた時に、
「もう遅いし、泊まっていったら?」
そう勧めても必ず自宅に帰っていきました。私も私でそれ以上の言葉はかけません。母に優しくすることに照れがありましたからね。本当は母のための部屋を用意してあって、いつでも泊まれるようにしていたのですが。
秋吉 お母さま自身の矜持もあったのかな。
下重 1人で寂しい、なんて絶対に口にしませんでした。実際には寂しい思いもしていたでしょうが……。あれはたぶん、母の意地でしょうね。
それから、母は私のつれあいのことをあまり気に入っていなくてね。彼のマイペースなところ、愛想よく振る舞わないところが合わなかったみたい。「娘をとられた」という対抗意識もあったと思います。
秋吉 なるほど……。
電話だけは毎晩かける
自分自身に課したルール
下重 そんな私が、唯一守っていたことがあるんです。毎晩9時から10時くらいの間に欠かさず電話をかけていました。
秋吉 お母さまの安否確認も兼ねて?
下重 それもありますが、私が自分自身に課したルールでしたね。地方出張していようが、海外にいようが、それだけは続けました。
今も昔も変わらないけど、自分で決めたことはきちんとやる。他人に「やれ」っていわれたことは気にも留めないけど、仕事もプライベートも、自分で意思決定したことはおろそかにせずやり遂げる。
秋吉 下重さんなりの愛情表現だったのかな。