【大人の教養】イギリスが世界支配に利用した「意外な植物」とは?
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です。地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります。
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある。
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イギリスが世界支配に利用した植物とは?
本日は、近代史の興味・関心が深まる話題をご紹介します。
さて、イギリスといえばガーデニングの国、というイメージはないでしょうか?
イギリスは西岸海洋性気候に属し、高緯度(ロンドンは北海道の北・樺太島中央とほぼ同緯度)にもかかわらず、偏西風と暖流の影響で温暖(年間を通じて気温が0度をまず下回らない)であるため、ガーデニングに適した土地柄なのです。これは王室も例外ではなく、イギリス王室にはキューガーデン(キュー植物園)という宮殿併設の庭園があります。
今日、キューガーデンは国立の植物園として知られますが、かつては植物の研究所として、イギリスの植民地支配に重要な影響を与えたのです。その一例が、天然ゴムでした。天然ゴムとはゴムノキの樹液(ラテックス)を凝固させたもので、19世紀にはヨーロッパの工業製品(銃弾など)には欠かせないものとなりつつありました。しかし、ゴムノキ(パラゴムノキ)は当時はアマゾン川流域のみに分布しており、このため天然ゴム生産はブラジルがほぼ独占状態にありました。
そこで、イギリスはブラジルよりゴムの苗木を密輸し、その植生が研究されたのが、キューガーデンだったのです。分析の結果、高温多湿を好むゴムノキは、19世紀末にイギリスが植民地としたマレー半島が適しているという結論に達し、このためマレー半島では大規模なゴムのプランテーションが展開されたのです(天然ゴム製品は今日のマレーシアでも輸出上位に位置します)。
一方、ゴムノキの栽培が実現する以前、イギリスは天然ゴムの代替品を探し求めました。19世紀半ば、イギリスはやはりマレー半島である植物に注目します。それが、ガタパーチャです。ガタパーチャの樹液は凝固すると絶縁体となり、また冷却されると形状を維持するという性質がありました。
イギリス東インド会社は、このガタパーチャをマレー半島の先端シンガポールで大量に買い付け、このガタパーチャの性質に注目した一人に、マイケル・ファラデー(1791~1867)がいました。電磁誘導やモーターの原理を発見した人物です。ファラデーらは、ガタパーチャは当時のイギリスが開発を目論んでいた「あるもの」の素材に適しているとの見解を示します。
それが、海底ケーブルです。ファラデーはフォン・ジーメンス(シーメンスの創業者)とともに英米の協力のもと実験を繰り返し、ついに1851年にブレット兄弟の手で、世界初の海底ケーブルがドーヴァー海峡に敷設されました。これ以降、帝国主義と呼ばれた風潮を背景に、イギリスは世界中に植民地を拡大しますが、その過程で世界を1周する海底ケーブル網も整備し、これは「オール・レッド・ライン」と呼ばれます。
(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者の書き下ろし原稿です)