川上さんも、外から聞くイメージとは違う面をいくつも見せてくださいました。私がスポーツの取材を始めた頃、川上さんはすでに読売巨人軍の大監督で、取材のときはいつもベテラン記者に囲まれていました。新人の私は、人垣の後ろから聞き耳を立てるというありさまでした。
川上さんは口の重い方で、なかなか記者に話をしてくれないことで知られていました。
その様子は、当時の共産主義圏と自由主義圏の間の対立を指した「鉄のカーテン」という言葉と、お名前の「哲」とを引っかけて「哲のカーテン」と呼ばれていたほどでした。
1975年に読売巨人軍を退団された川上さんは、NHKの野球解説者に就任されました。そして私はいきなり、その年のプロ野球の春期キャンプの取材で、川上さんとの同行を命じられたのです。
今までまともにお話もしたことがないのに、どうやって接近しようか。自分なりにいろいろ悩みましたが、まずはしっかりご挨拶に伺いました。
すると、「やあ、よろしくよろしく」とおっしゃり、監督時代とはまったくイメージが違うのです。お話を伺っていくと、監督時代に口の重かった理由がわかってきました。
名将が沈黙した理由
川上哲治氏が語る真実
川上さんは、初めは記者の質問に誠実に答えていたそうです。
しかし、翌日のスポーツ紙には、自分の発言の一部を切り取られ、少し意味の違う使い方をされている。これでは、記事を見た選手たちが「監督はこんなことを思っていたのか」と誤解しかねない。
そんなことがたびたび起こったので、聞かれたことに全て答えるのをやめて、発言をセーブするようになった。そうしたらチームがよい方向にいったので、あえて「哲のカーテン」を引いた状態でいたのだと教えてくださいました。
私はそれを聞いて、「なるほど、そこまで考えてやっていらっしゃるのか」と、川上さんの真の思いに気付かされました。
キャンプ中には当時の選手たちのことや、チームとしての力を結集するために行っていた努力など、さまざまなお話を伺いました。そして、川上さんのことを知れば知るほど、本当にすごい人だなという思いを深めていきました。
そして約1カ月のキャンプが終わり、3月のオープン戦で川上さんがNHK解説者として初登場することが決まりました。そこで局側から、何と「キャンプでずっと一緒だったんだから、お前が放送しろ」と、試合の実況を任されたのです。