特に「人生の意味と仕事」に対するインパクトは巨大だ。 Amodei氏は、短期的には、これまでのイノベーションがそうであったように、AGIという新しい技術により失われる仕事がある一方で、人類にとって可能な営みが拡大し、それが新しい雇用を生んでいくと述べている。極端な話、たとえ90%の仕事が消えても、残り10%の規模が現在の100%の規模を超えるなら雇用は維持され、経済は拡大するわけだ。

分業社会やそれに基づく
貨幣経済の前提は崩れる

 ところが、長期的にはすべてを AIとロボティクスが担うことになる。広範囲にわたる社会機能の自動化により、「生産には人間の労働が必要」という常識が損なわれ、現代における分業社会や、それに基づく貨幣経済の前提は崩れる。もし仮に貨幣が機能しなくなるとすれば、何にでも経済的な価値はなくなるのだが、そもそも、玄人として実行する A思考も素人のように考える X思考も自動化され、人間を超えるのであれば、人間がこれまでやってきたような思考に「経済的な価値」はなくなるわけだ。

 しかし、考えてもみてほしい。古くは自転車、そして自動車の登場により、人間が自力で走っても機械には到底敵わない世の中はすでに到来している。だが、人間は走ることを止めていない。ジョギングであれば、競争ですらない。自分より速い者やモノが存在するからといって、人は走ることを止めていない。人間が自分の肉体を使って走ることの意味は決して損なわれていない。

 同様に、人間が考えることの意味は決してなくならないだろう。何よりも、自分で問題を発見し、それについて考えて答えを導き出すのは楽しいことだ。また、移動に関しては手段よりも自分がどこに行きたいかが一般的に大事であるように、考える手段に関わらず、人間が知の主体であり続けることが大事だろう。機械によって手段がレベルアップし、それに伴って人間にできることが拡大することが重要なのだ。重きは、AIに何を考えてもらうかを考える「メタ思考」に置かれるようになるだろうし、それは主として X思考の範疇だと言える。

 また、自動化された A思考を人間からのフィードバックによってより良くするためには、人間自身が改めて A思考のトレーニングを受け、 A思考の何たるかを知り尽くしている必要がある。日本語を英語に自動翻訳してもらう際、英語ができる人の方が、機械によって出力された英文の良し悪しが分かり、機械に対してフィードバックを返せるので、よりよい結果を出せるのと同じことだ。