人間が調整のために介入するにせよ、メタ・ネイチャー自体は自動化された組織であり、自らエネルギーを生産して自動で動き、人間を必要としない。貨幣を受け取るのがこの世界で人間だけである以上、それが現代人の目にどれほど奇妙に映ろうと、メタ・ネイチャーがひとたび動き出せば、それが動作し続けることに関して経済的なコストはゼロ (無関係)となる。

「AGI後の世界」で
私たちはどう生きるか?

 再び SF作品『スタートレック』の例を紹介しよう。映画『スタートレック:ファーストコンタクト』では、 24世紀からタイムトラベルでやって来た巨大宇宙船エンタープライズ号を見た 21世紀人が、「これほどのものを造るのにいくらかかったか」聞く。 24世紀人の答えは「いくらもかかっていない」だった。未来社会では貨幣の時代はすでに終わっていたのだ。

 それは、Amodei氏の言うような「新しくて」「奇妙な」社会なのだろうか。貨幣経済の中で生きてきた私たちの多くにとって、それは前例がなく珍しい社会だろう。しかし、それは古くからある狩猟採集社会における生活パターンへの、高度なテクノロジーによる回帰なのではないだろうか。

 さて、私たちはこれからどう生きるのだろうか。ここで書いたような世界は訪れないかもしれない。課題は山積みで、技術的な壁にぶつかるかもしれないし、懐疑が先に立って AGIによる恩恵が社会に浸透しないかもしれない。また、強力な権力により技術が独占され、ディストピアが到来するかもしれない。しかし、メタ・ネイチャーの社会が訪れるチャンスはある。

 そうした不確実性に、私たちはどう備えるのだろうか。1つには、いずれにせよ自動化の水準は向上していくのだろうから、自動システムとの付き合い方を学んでいくべきだろう。そして、自動システムからより良い結果を得るためにも、自分自身をトレーニングしていくことが大切だろう。

 また、今後消えてなくなるかもしれない「仕事」と自分の存在理由とは切り離し、他に生きる意味を見出しておくことは、社会の部品として永久に働き続けるつもりでもない限り、いずれは直面する事態への準備になるだろう。それは趣味かもしれないし、人と社会をより良くするための活動かもしれない。これらのことは、これからどんな世界が訪れようとも、さまざまな困難にチャレンジし、人生を楽しんで生きていけるための秘訣だとは言えないだろうか。

(早稲田大学ビジネススクール教授 斉藤賢爾)