【老後の後悔】「仕事をがんばりすぎた」即やめるべきNG思考とは?
42歳でパーキンソン病に侵された精神科医のエッセイが、韓国で売れに売れている。『もし私が人生をやり直せたら』という本だ。「自分をもっと褒めてあげようと思った」「人生に疲れ、温かいアドバイスが欲しいときに読みたい」「限られた時間を、もっと大切にしたい」と共感・絶賛の声が相次ぎ、35万部以上売れているという。
そんなベストセラーエッセイの邦訳が、ついに刊行される。男女問わず、多くの人から共感・絶賛を集める本書の内容とは、いったいどのようなものなのか? 本書の日本語版から抜粋する形で、「人生の限りある時間」の過ごし方について書かれた項目を紹介していく。

【老後の後悔】「仕事をがんばりすぎた」即やめるべきNG思考とは?Photo: Adobe Stock

「自分がやらなきゃ」と考えるのはやめる

 2人の子どもを育てるワーキングマザーとして生きてきた私は、パーキンソン病で休職するまでの三十数年間、まともに休んだことがありませんでした。

 医者の不養生とはよく言ったもので、健康のためにはいかに休息が重要かを説いてきた当の本人が仕事最優先でいたのですから。時間がなくて食事を抜いたり睡眠を削ることもしばしばで、いたわるべき自分の体を、まるで脳の指令を受けて動く道具のようにこき使ってきたのです。

 それでも、これくらい平気だと安易に考えていました。だから自分の体が蝕まれていることにも気づけなかったのです。

 40代に突入した1999年、食が細くなり、文字を書こうにも目がかすみ、夕方になれば右足を引きるようになりました。人と話すのがおっくうになり、不安な症状が現れても、「きっと疲れのせいだ。少し寝て、運動すればよくなる」と信じていました。

 とはいえ実際は休みもせず、運動もしませんでした。そんなふうにしていつも体を酷使しているうちに、パーキンソン病の診断を下されたわけです。

 なぜ私は、口では休むべきだと言いながら、体を酷使してきたのでしょうか。よくよく思い返してみると、私は「何事も自分がやらなくては」と思っていたのです。職場でも家庭でも、私がいなければ回らないと思い込み、自分の担当外の業務までホイホイ引き受けていました。おめでたいことに、そんな目が回るほど忙しい状況も自分が必要とされているからだと喜んでいたくらいです。

 そんな経験のせいでしょうか。昔の私と同じように「忙しい」が口癖になっている人たちを見るたびに、心から気の毒に思います。彼らには、「体も心も、機械と同じよ。オーバーワークになると故障するんだから、まずは自分をいたわりなさい」と、なんとか説得に努めています。

 体も頭も、時には休ませてあげましょう。休ませないと視野が狭まり、普段できることも適切に考えられなくなります。42歳でパーキンソン病と診断され、65歳を過ぎた今、改めてそう思います。

(本原稿は『私が人生をやり直せたら』から一部抜粋、編集したものです)