
円安、インフレ、産業の停滞…。物価が青天井で上がる傍ら、手取りの増加は追いつかず、日本人の生活は苦しくなるばかりだ。グローバルで輝く新興企業も出てきていない。今、日本は「衰退」の二文字が現実味を帯びている。しかし、これまで「成長」と「停滞」しか経験してこなかった現代の日本人は、本当の意味の「衰退」を知らない。本連載「美しき衰退」では、日本に先立って衰退したかつての「先進国」を渡り歩き、そのリアルを伝えていく。まずは地球の裏側、アルゼンチンから始まる「衰退の旅」へ、ようこそ。(ノンフィクションライター 泉 秀一)
日本と真逆の国で発せられる同じ苦悩
「一体、どうやって生きていけばいいんだ?」
バン!バン!バババンッ――。
ここは日本の対蹠地(地球の裏側)。南半球の初秋の太陽の下、アルゼンチンの国会議事堂前では爆竹のすさまじい破裂音が響き渡っていた。日本のそれとは音が異なり、より鋭く、より重々しい。あたかも銃声のような音が、鼓膜を貫いていく。轟音が繰り返されるたびに、思わず肩をすくめ、反射的に身構えてしまう。
“Hay que echar a Milei!”(ミレイを追い出せ!)
2025年4月8日、数万人もの群衆が、同国大統領、ハビエル・ミレイへの抗議デモを繰り広げていた。

水色と白のアルゼンチン国旗カラーの横断幕があらゆる場所に掲げられ、金属業界や建設業界、教員の労働組合のメンバーたちが声を張り上げる。怒号と叫び声、そして爆竹の音が広場を埋め尽くし、古い石造りの国会議事堂の壁にこだましていた。付近には、デモ隊が暴徒化した際にすぐに出動できるように警察隊も控えている。実際、3週間前には、同じ場所で警察とデモ隊が衝突し、催涙弾が飛び交い、多くの負傷者が出て、流血騒ぎになったらしい。
喧騒の中、群衆から少し離れた場所にたたずむ1人の老人の姿が目に留まった。声を上げることもなく、胸からプラカードを掲げながらポツリとたたずむ姿が、周囲の熱気とは対照的に、静かな存在感を放っていた。

“Ayudame a luchar!!!! El proximo viejo. SOS VOS”(一緒に闘おう!!次の老人、それはあなただ)
彼の名はウォルター・ラモン・ピリス、66歳。金属業界で38年間働いて引退したという彼がデモに参加した理由は、ミレイの年金政策に対する抗議だという。
「私のような高齢者は仕事がなく、年金に頼って生活するしかない。でも、ミレイはコストカットばかりで、年金も減らしてしまった。ほとんどの低所得高齢者は、250~300ドルしか収入がなく、生活が成り立たない。物価が上がるのに、どうやって生きていけばいいんだ?」
バン!また一発、不意に響く爆竹の音にどうしても体が強張ってしまう。左腕のApple Watchが、「このレベルの音に約30分さらされると聴覚が一時的に失われるおそれがあります」と警告を鳴らす。
しかし、周囲のアルゼンチン人たちは、まるで日常の一部であるかのように平然としていた。きっと彼らにとってこの轟音は、皮肉にも長い歴史の中で慣れ親しんだリズムの一つになっているからなのだろう。