【挫折から始まった】中3で進路ゼロ宣告→資産50億の投資家になった男の転機
働きながら株で資産50億円を築いた“本当に儲かる3つの投資術”を初公開――余命宣告を受けた医師 兼 個人投資家の父が愛娘に捧げる著書『50万円を50億円に増やした 投資家の父から娘への教え』(ダイヤモンド社)。4度の手術を経て、49歳で肺と肝臓へのがん転移が判明。主治医からは「50歳は迎えられても51歳はわからない」と宣告された著者が、50万円を50億円に増やした投資法を愛娘に向けて全力指南。再現性の高い3つの投資法をマスターすれば、忙しく働きながらも「一生困らないお金」を稼げるようになる。「人生の集大成として、出し惜しみ無しで、魂を込めて書きました」(著者より)。
※本稿は『50万円を50億円に増やした 投資家の父から娘への教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

具体的な投資法の前に伝えておきたいこと
さて、いよいよ具体的な投資法を伝えていこう……と、その前に、もう1つ知っておいてほしいことがある。
それは、僕の半生についてだ。
中学校の宿題では語れなかったこと
以前、娘が通っている中学校の先生から「あなたの親に、これまでの人生を聞いてみよう」という宿題が出されたことがあった。
あのとき、実は気恥ずかしくて伝えきれていないことがあった。そこで、ここでは僕の人生を振り返っておきたい。
三重・熊野に生まれ、神戸で育つ
僕は1975年、母の実家がある三重県熊野市で生まれ、1歳からは神戸で育った。
父親が公務員、母親が専業主婦という、ごく普通の家庭だ。住んでいた地域も、高級住宅地でもなんでもない普通の街だった。
勉強が得意だった幼少期
ただし、自分でいうのはちょっと面映ゆいところもあるけれど、幼いころから勉強がちょっと得意だった。
小学1年生のときには、教室に貼ってあった6年生までに覚えればいい漢字をすべて暗記してしまった。
先生にも親にも驚かれて、そんなことが続いて「あれ、僕は普通じゃないのかな?」と思うようになった。
突然の中学受験チャレンジ
そんなふうだったから、両親は「これだけ勉強ができるんだから中学受験をさせてみよう」と思い立ったらしい。
でも、普通なら遅くても小学4年生から始める中学受験対策の勉強を、無謀にも小学6年生から始めた。
進学塾に通わされたけど、最初はチンプンカンプンだった。でも、ある程度慣れてくると、周りの生徒をゴボウ抜きしてしまった。
当然、志望校に合格。「まぁ受かって当然だよな」という思いが先だった。
「自分は賢い」の落とし穴
ところが、「自分は賢い」なんて思ったことで、しっぺ返しを食らうことになった。中学に入ってから、まったく勉強しなくなったんだ。
僕は本当にテスト前でもまったく勉強しなかった。当然、テストの成績は悪い。先生からのウケも悪い。内申点はズタボロ……。
「君が行ける高校はない」と言われて
そうしたら中学3年生の進路指導で、「君が行ける高校はない」といわれてしまったんだ。
さらに「内申点が低いから、公立校を受けるとしても最底辺の高校しか受けられない」と追い打ちをかけられた。
私立受験への決意と再起
「自分は賢い」と調子に乗っていたのに、結果として追いつめられた僕は、さすがに焦った。
「僕にはもう私立にいくしか道は残されていない」と割り切って、中3の冬休みから受験勉強に打ち込んだ。
「謙虚であれ」と伝えたい
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざは、学問や技能が深まるほど、他人に対してますます謙虚になることを意味する。
僕の半生をもとに、娘たちには、そのようにあってほしいと思う。
※本稿は『50万円を50億円に増やした 投資家の父から娘への教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。