「騒音おばさん」は“笑われていい存在”だったのか?「晒し動画」を“娯楽化”するメディアへの違和感
晒す側が優位で晒される側が弱い?
SNSのガイドラインの現状
一方晒される側は弱い。路上演奏禁止区域でライブをしていた男性が、世直し系ユーチューバーに「バカだろ」などとケンカ腰でたしなめられたためヒートアップして応戦し、その様子が動画投稿されたのちライブをした男性のもとに誹謗中傷が相次ぎ、自ら命を絶つことを考える程思い悩んだ、というケースもあった。
ケンカを始めるタイミングから幕引き後まですべてユーチューバー側がコントロールできている。路上ライブをした男性がルール違反を犯したことは咎められるべきだが、咎める側に「動画のヒット」やら「収益」なんかの下心があるから、正義が純粋な正義ではなくなってきな臭くなる。
ともあれ、晒す側が一方的に超イージーなのが現状である。
YouTube、X、TikTok、Instagram(Facebook)など、主要SNSの動画に関連するガイドラインに目を通してみると、どこもそれぞれ色は出ているものの似たり寄ったりである。
過度な暴力や性的描写、健康(メンタル含む)を害するおそれのあるコンテンツなんかはガイドライン違反と規定されているが、本稿で言及しているような「晒し動画」を積極的に規定し、禁ずるようなことは書かれていない。
強いていえばXが回避すべきものとして挙げている「嫌がらせの扇動」という項目があって、これがやや晒し動画の近いところに言及しているが、Xで行われている動画投稿の様子を見る限りではかなり限定的な文脈のようである。
YouTubeの場合だと、基本的なガイドラインに違反しているコンテンツでも、教育・ドキュメンタリー・科学・芸術の要素を持つものは削除されずに残る場合があるとされている。だから晒し動画も一種の「ドキュメンタリー」という解釈の仕方も、場合によってはあり得るのかもしれない。
YouTubeをはじめとする主要SNSは海外の企業で規模も途方もなく大きいから、日本人が1人ちょっとなんか言ったところでまったく聞き入れてもらえなさそうだし、あまりに大きな運営とあまりに日常化した晒し動画群を前にして違和感を表明する方が異端視されそうではある。