『貯金40万円が株式投資で4億円』『賢明なる個人投資家への道』(ともにダイヤモンド社)を著したXフォロワー数34万人超の専業投資家・かぶ1000氏。中学2年(1988年)から株式投資を始め、専業投資家歴37年目となる。中学時代は体育のジャージ姿で、地元の証券会社に通い詰め、年寄りの投資家たちにかわいがられ、バブル紳士には金儲けのイロハを教えてもらった。中学3年で300万円、高校1年で1000万円、高校2年で1500万円へと株式資産を増やし、会計系の専門学校卒業後、証券会社からの就職の誘いを断って専業投資家の道へ。時価総額に比べて正味の流動純資産が著しく多い「ネットネット株」や、豊富な不動産含み益などを持つ「資産バリュー株」への投資を得意とする理論派として、資産を安定的に増やしてきた。2011年に累計利益1億円を超えると、その後も順調に資産を増やし、2015年に3億円、2019年に4億円を突破。中学2年から株ひと筋で、アルバイト経験さえない根っからの専業投資家が、保有株全体を1つの会社に見立てる考え方や銘柄との付き合い方など、投資初心者にも役立つ投資法を全公開!
※本稿は、『貯金40万円が株式投資で4億円』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

アジア通貨危機がもたらした試練
私の投資家人生に大きな転機が訪れたのは、1997年のことでした。
この年の7月、タイの通貨「バーツ」の暴落に端を発したアジア通貨危機が起こり、連鎖的に世界同時株安に陥りました。
当然、日本株も大きく売られ、東証一部で額面50円・1000株単位で売買されていた銘柄が、額面に近い金額まで下がり、なかには額面の50円を切るような銘柄が100社以上あったと記憶しています。
世界を巻き込んだ金融危機の連鎖
アジア通貨危機は、新興市場への世界的な不信感を高め、1998年のロシア通貨危機、1999年のブラジル通貨危機へと波及します。
日経平均は1998年10月、当時のバブル崩壊後の最安値を更新し、1万2879円にまで値を下げました。
ITバブル崩壊と9.11ショック
2000年3月に入り、日経平均は一時期2万円を回復しましたが、アメリカのITバブル崩壊の煽りを受け、10月には1万5000円を割り込み、2001年8月には1万713円と1万円の大台割れ寸前まで下げます。
そして2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが起こり、翌12日には9610円と、とうとう1万円を割り込みました。
フェアバリュー投資との出会い
アジア通貨危機以降、少しでも悪材料が出ると過剰なまでに売られる銘柄が目立っていました。
アービトラージと同じく、売られ過ぎたものを安く買い、市場が落ち着いて適正価格に戻る過程で売却して利益を得るという、その株の適正価格である“フェアバリュー”からのギャップが大きい銘柄に投資する手法を、この頃から取り入れ始めたのです。
ネット証券時代の幕開け
1998年、松井証券が業界初となる本格的インターネット取引「ネットストック」をスタートさせました。
私は2年ほど様子を見てセキュリティ面に問題がないことを確認して、2001年からネット証券を主戦場にするようになります。バリュー株投資を本格的に始めたのは、この2001年、当時の株式資産は600万円ほどでした。
ネット取引による投資効率の向上
スピーディに取引できるネット証券に移ってからは、投資効率は格段に良くなりました。
手数料も大幅に安くなり、株の売買が低コストになったこともあり、運用成績も良くなっていきました。
資産3000万円という目標
2001年以降、当初目標に掲げたのは、株式資産3000万円の達成でした。3000万円あれば年率20%で600万円の利益になります。
600万円あればサラリーマンの年収としてはまずまずのレベルですから、そこを狙おうと考えたのです。
目標達成はネット証券移行から4年後
目標とした3000万円を超えたのは、ネット証券に移行してから4年後の2005年。私が30歳のときでした。
※本稿は、『貯金40万円が株式投資で4億円』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。