またフィーリーは訳文を再び頻度解析にかけました。すると頻出する文字のうち上位8文字までもが、ある人物のラテン語表記と一致しました。
その人物とは、当初からこの手稿の筆者であると目された、ロジャー・ベーコン本人だったのです。
この解読法を発見したフィーリーは、興奮とともに研究成果を世に発表します。
しかしここで、この手稿の持つある異常性が、この説に対して疑問を投げかけます。
それは、「全編にわたって修正の跡が見られないこと」。これは、手書きの書物にはまずありえないことです。もしこれが、ベーコンの残した実験ノートであるならば、修正の跡が一切ないというのは確かに不自然です。
また手稿は、文字の書かれ方から推測すると、挿絵を描いたのち、文章を書き入れるという段取りがとられています。つまり、挿絵が実験結果を表しているとするなら、結果が過程よりも先に描かれている、という矛盾も生じるのです。
そもそも「欠損したラテン語を補いつつ訳す」というのも、恣意(しい)的な翻訳を招きがちな行為です。
このような反論もあり、「フィーリーの説は誤り」とするのが現代の解読者たちの間での結論です。
「日本軍の暗号」の解読者も
手稿の魅力に引き付けられた
手稿の持つ怪しい魅力に引き付けられたのは、アマチュア解読者だけではありません。
ウィリアム・フレデリック・フリードマン(アメリカ陸軍の暗号学者)は第2次世界大戦中に日本軍が使用した暗号、通称「紫暗号(パープル)」を解読した功績で有名な人物です。
フリードマンはかねてよりヴォイニッチ手稿の解読に興味を持っていました。
自身が率いる紫暗号の解読チームで「軍の暗号解読者たちによる、時間外で非公式なクラブ」を結成し、手稿の解読に乗り出しました。
なぜ非公式だったのかというと、当時は『ヴォイニッチ手稿』に向けられる関心が冷めていたためです。
フリードマンが解読のために軍に予算を申請しても、「解読したところで、古い植物図鑑がひとつできるだけ」と、にべもなく却下されています。