日本史#10

日常でもビジネスでも何が起こるか分からない時代。こうした時代を乗り越える唯一の手段が「歴史」だ。時代も登場人物も違えば、まったく同じ歴史をたどることはない。しかし、似たことはこれまで何度も起こっているのである。それならば歴史に学ばない手はない。本稿で注目するのは「時代区分」である。時代の分け方は、国や地域によって異なる。そこをあえて「時代区分」で、日本と外国とを比較してみるのも歴史の楽しみ方の一つだろう。ここでは、監修した『やばい世界史』がヒット中の、東京大学名誉教授・本村凌二氏に、「古代」というくくりで、古代日本と古代ローマを比較していただいた。同じ古代といってもその始まりは両者で1000年以上の開きがある。それぞれの古代をのぞいてみよう。

「週刊ダイヤモンド」2020年2月25日号の第1特集を基に再編集。肩書や数値など情報は雑誌掲載時のもの

外国の歴史を理解するために
日本の歴史と比較してみる

 海を隔てた外国の歴史はどこか理解し難いところがある。一つの工夫として、生まれ育った日本の歴史と比べてみれば、分かりやすくなるのではないだろうか。西洋古代史、とりわけローマ史を専攻する筆者にとって、日本の古代史は気になるものがある。

「やばい世界史」の東大名誉教授が古代の日本とローマを無理やり比較本村凌二/もとむら・りょうじ。東京大学名誉教授。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、早稲田大学国際教養学部特任教授。専門は古代ローマ史。監修に『やばい世界史』(ダイヤモンド社)、著書に『教養としての「世界史」の読み方』(PHP研究所)など多数。

 古代ローマは紀元前753年に建国され、およそ1200年後の476年、西ローマ皇帝の廃位を機に滅んだといわれている。中でも、紀元前1世紀から紀元後3世紀まではローマ帝国の最盛期と見なされ、世界史上の範となすものがある。

 これに対して、日本の古代史は、4世紀半ばの大和政権の成立から10世紀半ばに武士階層が台頭する頃までを覆っている。

 平城京に都があった奈良時代と、平安京に遷都された平安時代の前期は、古代の典型といってもいいのではないだろうか。8世紀から10世紀半ばまでの期間である。

 古代の日本古代のローマ。比較の軸として「歴史叙述」「神々を信奉する心」「風呂好き」の三つの視点を取り上げてみたい。

古代日本古代ローマ
「歴史叙述」を比較

 まず、歴史叙述である。日本では、なによりも8世紀初めの『古事記』と『日本書紀』が思い浮かぶ。『古事記』は神代から推古天皇までの帝紀(天皇の系譜の記録)を基にしており、史実というより神話や伝説を集めたものである。もともとは口々に語り伝えられたもので、それらが筆録され、天武天皇の意に沿って編修されたのである。

『書紀』も帝紀を基にしているが、多くの史家たちの討議に任せられており、中国の史書の編年体(起こった出来事を年代順に記していく方法)を採り入れた正史の趣がある。

『書紀』やそれに続く『続日本紀』などから成る「六国史」は勅撰(天皇や上皇の命により編さんされた歌集)の正史であり、古代の知識人たちが正史としての歴史書を苦心して作成しようとした様がしのばれる。しかしながら、漢文体のいかめしい文章であるから、親しみやすい歴史書ではない。

 紫式部のような知識人が「日本紀などはただ片そばぞかし。これらにこそ道々しく、くわしきことはあらめ」と語り、漢文風の正史より、物語風の叙述に人情の機微を表現する優れた点があることを自負している。物語風の歴史書あるいは軍記物語の先駆けとしては『将門記』がある。文章こそ、しかつめらしい漢文で書かれているが、内容を見れば極めて物語風であり、軍記物語の祖たるにふさわしい。しかしここでの時代区分で言えば古代末期の作品になる。

古代ギリシャの作家や哲学者たちヘロドトゥスなど古代ギリシャの作家や哲学者たち Photo:Universal History Archive/gettyimages

 西洋古代に目を転じると、紀元前5世紀のギリシャに「歴史の父」と呼ばれるヘロドトゥスがおり、ペルシア戦争の顛末を物語風に描いた。その半世紀後のペロポネソス戦争の経過については、実際に将軍として参戦したトゥキュディデスの手で書かれている。文体は難解であるが、史料批判や心理描写は精緻を極め、古典古代の歴史叙述としては特筆に値する。

 そのような伝統は、ローマ人の歴史叙述にも受け継がれ、紀元前1世紀にはリウィウス、1~2世紀にはタキトゥスなどの歴史家を輩出している。とりわけ、ネロ帝の治世に生まれたタキトゥスは主著『年代記』の中で、この名だたる暴君の生態を生き生きとした筆致で描き、同時代の帝政に鋭い批判の刃を向けている。そこには共和制を思慕する歴史家としての苦悩が漂っているかのようだ。

 もちろん、本格的な歴史叙述が始まる以前にあって、紀元前2世紀後半には『最大の年代記』があったらしいが、出来事を書き記す板であったという。

 古典古代が始まったばかりの時代から、古代ローマでは物語風の歴史叙述があった。対して、日本で物語風の歴史叙述が生まれたのは古代末期である。同じ古代といっても、両者の差異は歴然としている。