いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

最初から情報をオープンにする戦い方
私は手持ちのカードを最初にすべてオープンにするタイプだ。
友人たちと「マーダーミステリー」という推理ゲームをよくやっているのだが、このゲームでは各人に割り当てられた役割に応じて、持っている情報が全然違う。その情報を出し合って推理をしつつ、各人の目的を達成しようとする。ゲームを有利に進めるためには、どのタイミングでどの情報を出すか悩むところである。
たとえば探偵役の人が、他のメンバーの情報をうまく引き出したあとで、切り札的な情報をここぞというときに出せるとめちゃくちゃかっこいい。
そんなプレイに憧れるのだが、私はつい、持っている情報を最初に全部出してしまう。切り札をとっておく、みたいなことができない。自分が情報を出せば、それをうまく活用してくれる人があらわれるはずだと信じているところがある(ゲーム的にはポンコツな戦い方である)。
必要に応じて情報を出す
「手持ちのカードをオープンにして、周りの人に活用してもらいたい」という考え方は普段の生活にもあらわれる。
子どもの幼稚園や小学校で保護者が自己紹介をする機会があると、私は最初から「ライターでこういう仕事をしています」「こういうことが得意です」と、あれこれ話してしまう。
ところが、意外に多くの人が自己紹介で仕事や特技の話をしない。
それなのに、必要な場面がくると、「実はプロカメラマンです」とか「デザイナーです」「ピアノの先生です」とか、すごい人がひょっこり現れる。
たとえば「この配布物のデザイン、できる人いないかなぁ~」と困ったときに、「実は私、デザイナーなんです」と登場する。かっこいい。一気に解決だ。
すごい人は出しゃばらず、気取らず、それでもいざというときに力を発揮する。最初から自分がプロだと言ってしまうと、相手に気を遣わせてしまうかもしれない。そのため、むやみに自分を誇示したりはしないが、状況を見ながら必要なところでは手をあげてくれるのだ。
社会の中での自分の役割について、ストア哲学者のエピクテトスはこう言っている。
自分の条件を知る
社会のなかでの役割に応じて、義務を果たすよう自らの行動を導くことに努めなくてはならない。
歌うのに適した時間や遊ぶのに適した時間はいつで、誰がいる前でそれをすべきか、また、それをするのに場違いな場所はどこかも心に留めておかなくてはならない。
周囲に軽蔑されることや、自分で自分を軽蔑することのないように。(エピクテトス『語録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
私たちはたったひとつの役割を持っているわけではなく、家庭、職場、地域、友人関係などそれぞれの場に応じた役割を持っている。
ストイシズムで言う「義務」とは、理性的な人間として生き、「知恵」「正義」「勇気」「節制」という4つを基本とする美徳を実践することである。
たとえば、どんな場でも他者に敬意をもって公正に接したり(正義)、つらいとわかっていることでもあえて挑戦したり(勇気)といったことだ。
エピクテトスは、こうした美徳を、社会の中の役割に応じて発揮すべきだと言っているわけだ。
TPOをわきまえつつやりなさいよ、と。
いくら善意で動いても、時と場合によっては出しゃばりになったり、他人の迷惑になったりすることもあるかもしれない。
なるほど、大変実践的な教えである。
私もその場その場で自分の役割を見極め、美徳を実践できるようにしたい。その積み重ねが、ストイックに生きるということなのだろう。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)