
筆者の母校である上海の復旦大学は先月、創立120周年を迎えた。同校のリベラルアーツの伝統は深い。作家の魯迅氏が現代中国文学の基礎を築き、政治理論家の王滬寧氏が全国的な名声を得た場所であり、ロナルド・レーガン元米大統領が1984年の歴史的な訪中時に、米国人は「互いに異なる意見を持つ自由がある」国民だと率直に語った場所でもある。
筆者や多くの人にとって、開放性と個人の自由を訴えたレーガン氏の演説は深い印象を残し、復旦大学を憧れの学校にする一助となった。同氏が演説を行った3108教室は、私たちが勉強で夜更かしする際の「聖地」となった。
当時の中国指導部は、現代的な経済を築くため、政治的混乱の数十年間に放棄された人文・社会科学の復活に力を入れていた。
しかし最近、復旦大学は中国のその他多くの大学とともに、「理系」科学に大きく舵(かじ)を切っている。人工知能(AI)などの分野で中国を強国にすることに焦点を当てた政府の方針に沿ったこの転換は、ハイテク開発における人間的要素を見落とすリスクがある。
世界第2位の経済大国によるAIの国家的取り組みは否定できない。野心的な政策目標や巨額の政府資金、STEM(科学・技術・工学・数学)を重視した教育システムの刷新により、中国はエンジニアやデータサイエンティストの強力な軍団を生み出し、顔認識や自動運転車などの分野で主要なプレーヤーとしての地位を築いている。
目指すのは技術的優位性だが、この転換には代償が伴う。人間の行動、文化、倫理、社会全般の理解に専念する学問分野が、ますます軽視されているのだ。