テレビ歌謡番組の終幕

 このような条件の変化によりCD市場は急拡大した。それまでオーディオ機器を買えなかった若年層が市場の主役になったからである。需要が増加したわけだ。おりからのバブル経済により、アナログ盤より2割以上高くなっていたにもかかわらず、急激に売上は増加していった。

 オーディオ機器は高価だったので家庭に1セットしかなかった。したがってテレビの音楽番組を家族そろって視聴していた。それが個人で聴くようになったのである。テレビの音楽番組の視聴率が急速に落ちたのはそのためだと考えられている。

 60年代から80年代にかけて数々のヒット曲を量産した作詞家なかにし礼さん(1938-)は、著書でこう分析している。

 「戦後の歌謡界は、その歌謡曲のインフラとテレビという新しく強力なメディアを媒介として発展してゆく。そして昭和三十年代後半、音楽出版社というまったく新しい業態・システムの導入により、若く能力のあるフリーの作家たちが歌謡曲制作に参加したことで、昭和四十年代~五十年代には一挙に歌謡曲の黄金時代を迎えることになる」

 「しかし、一九七〇年代(昭和四十五年~五十四年)の歌謡曲の黄金時代は同時に、歌謡曲が終焉へと向かう道のとば口にもあたっていた。そのキーワードは『デジタル』であり、具体的にはコンパクト・ディスク(CD)の爆発的浸透である」

 「昭和五十七年(一九八二)に商品化されたCDは、またたく間に音楽のあり方を変えた。ボックスに入れるだけですぐに音が鳴り出すという簡便さに加えて、制作コストの安さから新しいバンドの自主制作CDなどが大量に出回ると、若者はもうテレビの音楽番組を見ることなく、一人部屋にこもって自分の好きな音楽だけを聴くことができるようになった。すると、それまで家族で見ることによって保たれていた音楽の共有性が消滅する。」(なかにし礼『歌謡曲から「昭和」を読む』NHK出版新書、2011)

 デジタル化は再生装置の低価格化だけでなく、シンセサイザーの普及によって制作プロセスの簡略化も促したということだ。音の波形を合成したり、楽器の音をデータ化して再現するわけだが、近似した音色をコンピュータで合成することが可能なので、演奏家の人件費は大幅に圧縮される。もちろん制作時間も短縮された。実際、一人で全てをまかなうことも可能になった。

 テレビの歌謡番組の視聴率が急落したのは88年10月だったのだそうだ。この異変を「読売新聞」が伝えていた。