釜次(吉田鋼太郎)の声はいつもと違った背景

「千尋は?」と嵩が尋ねると、千尋は仏壇に納まっていた。写真と骨壺がある。骨壺の中を開けると、木札が入っているだけ。嵩の顔は虚無だ。
「生きて帰ってくるのは僕じゃなくて千尋だったらよかったのに」と、ぼんやりつぶやく嵩。
しんは「戻りたいがです」と、楽しかった寛(竹野内豊)と千尋と嵩がいた頃に戻りたいと泣く。
翌日、朝田家を訪れる嵩。まず目に入るのはラジオだった。気付いた釜次は、このラジオは千尋がのぶに譲ってくれた景品だったと語る。いわば形見のラジオだ。当時、釜次はものすごく欲しがっていた。あの頃は楽しい日々だった。
「お国のためじゃろうと、なくしてええ命はひとつもない」と釜次の声はいつもと違って重みがある。
これまで釜次も、お国のために国民が一丸となって頑張らないといけないと言ってきたが、時代が変わったら、言うことが変わっている。こっちが本気だからこそ、声が違うのだろう。というか、真実を思い知ったのであろう。でもその気付きは、かけがえのないたくさんの命と引き換えであった。
高知でひとり暮らしているのぶは、仕事もないので、次郎の残したフィルムを現像しはじめた。
現像液のなかでくっきりしてくる画像。そこには、さまざまなのぶの顔があった。次郎の愛にあふれたまなざしを感じる写真の数々。亡くなった人の写真を見るよりも、亡くなった人のまなざしを感じる自分の写真が並ぶ感覚にはいっそう悲しみが募りそうだ。
だが、最後に一枚、次郎の写真が出てきた。
のぶが1枚撮っていたのだ。1枚も撮らないままになってしまったのではないかと筆者はずっと心配していたからホッとした。でもそれはピンぼけだった。作者は戦場カメラマン、ロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』を意識したのだろうか。