まだ自民党が存在していない大正8年(1919年)、立憲政友会の原敬が内閣総理大臣を務めていた日本で一部から「独身税」の必要性が訴えられた。
その代表が教育者・西山哲治。文部省から委託を受けて欧米に行き、現地の教育を学んで「児童中心主義」「子どもの権利」を唱え、自ら教育現場で実践していた人物である。今、子ども家庭庁が「子どもまんなか社会」と唱えているが、実は100年以上前の教育者が主張していたことの「再現」に過ぎないのだ。
「児童中心」「子どもの権利」を実現するにはカネがかかる。当然、大人がそれを負担しなくてはいけない。しかし、当時は今と真逆の「多子社会」で、家庭には子どもが5人、6人いるのが当たり前。親は自分の子どもを食わせるだけで精一杯である。そこで「独身」から税金を徴収しようと考えた。
もちろん、これを「苛税」(重すぎる税)だと真っ向から反対する人もいた。『みだれ髪』で知られる歌人・与謝野晶子だ。
「西山氏は別に独身税と云ふものを唱へられて居ますが、之は非人道的な苛税です。私達無産階級の男女で結婚しない者があるとすれば、それはいろいろの同情すべき事情があります。殊に現在の経済組織では軽率に家庭を作ることの危険が目に見えて居ます。(中略)やつと一人の口を糊するに足るだけの職業に有り付くか有り付かないかの覚束ない経済的弱者に、結婚しないからと云つて課税するのは残酷です」(激動の中を行く アルス 158ページ、旧字体は新字体に変換)
今、「独身税」に憤りを覚えている人々の言いたいことを「代弁」してくれて溜飲が下がった人もいらっしゃるだろうが、実はそれこそがこの問題の深刻さをあらわしている。
「未婚・子なし」の冷遇が
“日本崩壊”を早めるワケ
大正8年の与謝野晶子の訴えに、令和で冷遇される独身が深く共感できるということは、この国の「結婚せずに子どもを作らない人」の境遇が、この100年でまったくアップデートされていないということだ。
なぜそうなるのかというと、国家と国民の関係性がまったく変わっていないからだ。