超一流スポーツ選手に共通する「思考法」を学び、ビジネスに活かすための1冊『超☆アスリート思考』が発売された。この記事では、同書にも登場する、オリンピック柔道史上初の3連覇を成し遂げた野村忠宏さんに、「持つべきプライドと捨てるべきプライド」について語っていただいた。(インタビュー/金沢景敏 構成/前田浩弥)

――野村さんはシドニーオリンピックで2連覇を果たした後、2年ほど、「引退か、現役続行か」を見つめる充電の期間を設けています。そして「アテネオリンピックで3連覇を目指す」と現役続行を決め、ブランクから復帰した直後の試合で、野村さんは5位に終わります。その後も結果は振るわず……しかし日本代表から外されたことで、「プライドを捨てて吹っ切ることができた」と語っていますよね?
「プライド」の功罪
はい。私は、プライドには「持つべきプライド」と「捨てるべきプライド」の2種類があると考えているのですが、その考えに至ったのが、アテネオリンピックに向けて始動した2002~2003年でした。
アトランタで初めて金メダリストとなってから、シドニーで2連覇するまでは、「俺は金メダリストの野村なんだ」というプライドが自分を奮い立たせてくれ、強くしてくれた自覚がありました。
ちょうど、選手としても脂が乗り切っている時期で、やればやるほど強くなっていきました。実力の伴ったプライドは、己をさらに大きくしてくれます。私は大きな自信を味方に、シドニーで2連覇を果たすことができました。
しかしシドニーの後、私はアテネオリンピックを目指すべきかどうか悩み、充電期間に入ります。2年間の休養を経て、「アテネで3連覇を目指す」と決意。復帰したのですが、しばらくは散々な試合が続きました。
「俺はオリンピック2連覇した野村なんだ」というプライドを胸に練習を再開し、試合に立ったのですが、そこで初めての感情が襲ってきたのです。
組むのが怖い。投げられたくない。投げられる姿を周りに見られたくない――自分より8つほど年下で、格下であるはずの相手を前に抱いたのは、自分でもコントロールできないほどに大きな恐怖心でした。
結果、私は、腰を引いて逃げまくる無様な柔道に終始します。そして最後には結局、投げられて一本負け。そのような試合が続き、世間からは「野村は終わった」の声が聞こえてくるようになりました。

柔道男子60kg級でアトランタ、シドニー、アテネで柔道史上初、また全競技を通じてアジア人初となるオリンピック3連覇を達成。2013年に弘前大学大学院で医学博士号を取得。引退後は国内外で柔道の普及活動を行い、スポーツキャスターやコメンテーター、講演活動など多方面で活躍している。
どん底に落ちたことで、3連覇に必要なことが見えてきた
「アテネで3連覇を目指す」どころか、アテネオリンピックの出場すら危うい現実を突きつけられ、世間からも冷めた目で見られ、あまりのストレスで”円形脱毛症”ができるほどのどん底の中で、私は考えました。
アテネオリンピックに出場し、オリンピック3連覇を成し遂げるためには何が必要なのか。「俺はオリンピック2連覇した野村なんだ」というプライドを捨てることです。
アトランタからシドニーまでの自分を支えてくれた「実力の伴ったプライド」とは違い、今の自分が持っている「俺はオリンピック2連覇した野村なんだ」というプライドは、「実力の伴っていないプライド」。いわば「見栄」にすぎません。
その見栄が、「組むのが怖い、投げられたくない、投げられる姿を周りに見られたくない」という邪念を生み、今の自分の弱さにつながっているのです。
ただでさえ、シドニーから年齢を重ねて体力は衰え、さらにブランク明け。そのうえ思考が見栄に支配されていては、勝てるわけがありません。
どん底に落ちたからこそ、素直にそう思えたのです。そして、「アテネで3連覇するためには、今は負けてもいい。ただその負けに意味を持たせるのが大切」と思えるようになりました。
すべての力を出し切って負けたなら、新たな課題が見えてくる。今の自分の本当の弱さ、そして本当の強さも見えてくる。「負け」自体は決して悪いものではないと思うようになったのです。
そして、「今は負けてもいい」と思えたことで、「組むのが怖い、投げられたくない、投げられる姿を周りに見られたくない」という邪念が消え、本来の攻撃的な柔道、前に出る柔道が戻ってきました。
もうひとつ、自分を取り戻す過程で見えてきたのは、「今まで自分が柔道を向き合ってきた姿勢」、「今まで柔道にかけてきた時間」、そして「これから自分が歩もうとしている道」に対するプライドは、捨てる必要がないということです。
というより、世の中の大多数の人から「野村は終わった」という目で見られる中で、このプライドを持っていないと、自分の心のバランスが保てなかったといったほうが正確かもしれません。
しかし、この確かなプライドを再確認できたことで、どん底の状態のなかでも強い気持ちを取り戻すことができました。
「実力の伴っていないプライド」を捨て、自分の歩みに対する「確かなプライド」を手に入れ、私は「アテネで3連覇する」という目的に向かって邁進することができました。
そして2004年8月14日、私はついに、アテネオリンピックで、柔道史上初の「オリンピック3連覇」を成し遂げることができたのです。(野村忠宏さん/談)
(このインタビューは、『超⭐︎アスリート思考』の内容を踏まえて行いました)
AthReebo株式会社代表取締役、元プルデンシャル生命保険株式会社トップ営業マン
1979年大阪府出身。京都大学でアメリカンフットボール部で活躍し、卒業後はTBSに入社。世界陸上やオリンピック中継、格闘技中継などのディレクターを経験した後、編成としてスポーツを担当。しかし、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じ、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命に転職した。
プルデンシャル生命保険に転職後、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRTの6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な数字をつくった。2020年10月、AthReebo(アスリーボ)株式会社を起業。レジェンドアスリートと共に未来のアスリートを応援する社会貢献プロジェクト AthTAG(アスタッグ)を稼働。世界を目指すアスリートに活動応援費を届けるAthTAG GENKIDAMA AWARDも主催。2024年度は活動応援費総額1000万円を世界に挑むアスリートに届けている。著書に、『超★営業思考』『影響力の魔法』(ともにダイヤモンド社)がある。