「せっかく“いい会社”のはずなのに、毎日ぜんぜん楽しくない…」
あなたは今の職場で、「うまく言葉にならない“悩み”」を感じたことはないだろうか。「この会社で一生働くなんて無理…」「でも、他に“やりたいこと”もない…」「だから、しぶしぶ働いている…」そんな日々に「このままでいいのか?」と不安になったことも、一度ではないはず。
こんな“うまく言葉にできないモヤモヤ”を「見事に“言語化”してくれた!!」と話題なのが、新刊『「いい会社」のはずなのに、今日もモヤモヤ働いてる』だ。各所から共感が殺到している本書の内容に沿って、今回は「キャリアのモヤモヤ」の正体について解説する。

「ハイスペックキャリア迷子」とは何か?
学歴も職歴も申し分なく、エリート街道をまっすぐ歩んできたのに、表情はどこか疲れている。
そんな「ハイスペックキャリア迷子」が今、急増している。
「優秀」と呼ばれる人が、なぜか幸せそうに見えないという“光景”は決して珍しくない。
その背景には、「優秀さの定義」が時代とずれ始めている現実がある。今回はこの現象について、考えてみよう。
日本社会における“優秀さ”の正体
日本の教育システムは、決められたことをきちんとこなし、正解を出せる人を“優秀”とみなしてきた。暗記してテストで点を取る。枠からはみ出さない。偏差値で序列をつける。そんな基準で評価されてきた人たちが、社会に出た途端に「こんなはずじゃなかった」と立ちすくんでしまうのだ。
あなたの周りにもいないだろうか。学生時代は常にトップ、就職も誰もが知る大手企業。けれど会話の端々に「幸せそうじゃない」影がにじむ人。そう、あの感覚だ。
すべての「頑張ってきた人」たちが予備軍
「いい高校」「いい大学」そして、「いい会社」。親が喜び、友人が羨(うらや)む、華やかな肩書き――
だが、その完璧な経歴の裏側に、言葉にできない違和感を抱えている。それが、「ハイスペックキャリア迷子」だ。
「ハイスペックキャリア迷子」と聞くと、東大卒や外資系企業のエリートのような、いわゆる“ハイスペック”を想像するだろう。
しかし実際は、それだけに限らない。優秀で、「正解を選び続けてきた」人すべてが、将来、「ハイスペックキャリア迷子」になる可能性を秘めているのだ。
そこから抜け出す方法は、まず「その混乱の正体に名前をつけること」。
モヤモヤを言語化できたとき、私たちはようやく、自分の人生を再び選び直すことができるのだ。
(本記事は『「いい会社」のはずなのに、今日もモヤモヤ働いてる』の一部を編集・加筆・調整した原稿です)